「母の病気が発覚してから、毎日台所に立つようになった父。母はそんな父の料理を喜んでいました。母の死後、携帯電話に残されていたのは台所に立つ父の姿ばかり。そして、そこには思い出の料理の写真が映しだされていました」
■母の残された時間は残り少なく...、それでも父は台所に立ち続けた
夏の暑さが少しずる和らぎだしたころ、母が余命1カ月半と告げられました。
父の意向で母には余命を告げず、自宅で一緒に過ごしました。
離れて暮らしていた私も毎週末、東京と大阪を行き来しました。
<母はもともとよく食べる人で、作るのも食べるのも好きでした。
手際よく、魔法のようにあっと言う間に食事の用意してくれたのを覚えています。
最期まで母は台所に立ちたがっていました。
たくさんおいしいものを作ってくれた母の「できるだけ食べたい」というリクエストにこたえ、父はそれを大量に買ってきては食卓に並べました。
母はそんなに食べられる状態ではなかったけど、「おいしそう!」と言っては少し口をつけ、「また後で食べるわ」と言いました。
「食べられない」と絶対言わなかったのは、父への気遣いだったと思います。
その後、母は主治医の言った通り、余命宣告から1カ月半でこの世を去りました。
母の遺品整理中、携帯電話に保存されていた写真をみたら、そこには父が台所で料理をする姿が何枚も保存してありました。
明らかに不器用な手先、「お父さん、背筋伸ばして!」と今でも聞こえてきそうなくらい背中が曲がっている父の姿、母も作ったことないくらいの大量のカレーとおでん。
母が褒めた、形の悪い卵焼きと塩むすび......。
日に日に形になっていく卵焼きと塩むすびが、たくさん保存されていました
母はどんな思いでこれを撮っていたのでしょう。
きっと嬉しかったに違いないと思います。
- ※
- 健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
- ※
- 記事に使用している画像はイメージです。