「定年を迎えた父と母は穏やかな日常を送っていました。そんなある日、母の病気が発覚します。父は、いわゆる団塊の世代で、それまでの家事は母任せ。病気の母の代わりに台所に立ち、とにかく一生懸命でした」
■亭主関白な父が病気の母のために台所に立ち
2年前に亡くなった母に病気が発覚してから、父は台所に立つことが増えました。
父はいわゆる団塊世代のど真ん中、高度経済成長期をかけぬけて、男は外で仕事、女は家を守るというのが当たり前と考えていた世代です。
私が子どもの頃は父が台所に立つ姿など見たことはありませんでした。
そんな父は定年を迎え、週3日程度の職に就き、母の作るお弁当を持って仕事にいく穏やかな日々を過ごしていました。
そして定年から5年が過ぎた頃、母の病気が発覚したのです。
青天の霹靂でした。
父は自分に出来ることは何でもしようと、一生懸命でした。
立たなかった台所にも立ち、カレーを作ってみたり、おでんを作ってみたり、それも大量に......。
加減がわからないからとにかく量が多く、父と母は1週間カレーとおでんを食べ続けていました。
おにぎりを握らせたら、手が大きいので育ち盛りが食べるような塩むすびに。
母に「お父さん! 大きすぎる!」と言われていました。
たまに実家に帰ると父が台所に立っていました。
決して手際がいいとは言えません。
台所に長く立っているわりに、出てくる品数は少なく、でも台所はすごい品数を作ったんじゃないかというくらいひっくり返っています。
見かねて手伝おうとしても拒否されてしまいます。
父は、ありがたいくらい動いてくれていました。
母は「お父さんの卵焼きと塩むすびがなかなかおいしいねん!」と褒めていました。
私もいただいたのですが、確かに形こそ悪いけれど、塩加減のいいおむすびでした。
父が作った料理を食べるなんて夢にも思いませんでした。
おそらく母も同じだったでしょう。
台所に立った父は少し腰が曲がり、母に「お父さん、背筋のばす!」と言われては腰を伸ばし、あっちウロウロ、こっちウロウロ。
そんなに調理道具使うほどでもないのに、常に何かを探し、母に聞いて「何回同じ事聞くの?」と言われながら、切ったり、剥いたり、炒めたり......。
不器用な姿だけど、母は笑みをこぼしながら、その姿を見ていました。
私もそんな父と母の姿を愛おしく思っていました。
しかし、母の病気は静かに進行していたのです。
- ※
- 健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
- ※
- 記事に使用している画像はイメージです。