皆様こんにちは、『ぼっちシニアの幸せ探し貯金日記』の管理人"くるぴた"です。
ここでは昔、結婚生活中に起こった「おいおい、ちょっと待て」と思うような出来事などを中心に書いていきます。
【前回】「今ね、お母さんが死んだの」涙声で夫にかけた電話。彼は妙に明るい口調だった
仕事が上手くいかず、かと言って転職も副業もせず、年収はおそらく100万円前後だった元夫。
家に居ればたまに叫び声を上げては壁をドンと殴って穴を空け、憂さを晴らす日々。
しかし仕事に行く以外に誰とも交流がない元夫は、自分の身なりにお金を掛けることはほとんどありませんでした。
出掛けないので外出着は不要。
いつでも赤やオレンジのド派手な色の着古したTシャツやジャージを纏い、何年も前に買ったゲームや無料のネトゲなどを延々とやっていて、自分で新しい物を購入することはありません。
あまりに衣類がよれてくると、さすがにこちらも見かねて新しい物を買う事はありました。
私自身もそんなに高給取りではありませんし、2人分の生活費を捻出するのに精一杯。
しかし夫は近所のコンビニには、家に居る時のままの格好で出没していたので、買わざるを得なかったのです。
そんな元夫でも2年に1回くらいは見栄を張ることがありました。
大学時代の親友が出張で札幌を訪れる時です。
元夫の親友は元夫と同じ歳で、同じ大学に同じく一浪して入学しました。
出身地こそ違えど2人とも地方出身で何となくウマが合ったとのことで、同じ学部、同じ学科、同じサークルに所属していたと聞いています。
元夫が言うには、学生時代の成績は自分の方が良く、親友は一留したので、卒業年度は違うとのことでした。
でも、その一年遅れというのが二人の命運を大きく分けます。
元夫が大学4年だった年は就職難で、出身校がいわゆる一流大ではなかったこともあり、なかなか内定が取れずに苦労したそうです。
結局中小企業に入社したものの、思ったような仕事が出来ず、数年後には札幌に戻って来ました。
それに引きかえ親友の方は就職活動が1年遅れたことで、ちょうど始まったバブル景気の恩恵を受けて、さほどの苦労もなく一流企業の内定が取れたのです。
その後就職してからは順調に役職も上がり、10年くらい前の段階で年収は700万円以上とも。
同じ会社の女性と結婚し、共働きで世帯収入はかなりのものだったようで、都内にマンションを購入し、お子さんを一年の語学留学に行かせたりして、ゆとりのある生活をしていると聞きました。
そんな親友とメールやSNSで定期的に連絡をとっている元夫は、自分の現状を相手にちゃんと伝えていたかどうか、私は知りません。
少なくとも親友ほど豊かな生活をしていないことは教えていると思います。
東京での最初の就職先を辞め、札幌に戻ってからの中途採用なのですから......
だけど、月収が5万~10万になり、妻に住居費以外の生活費を負担させているのに、唯一自分で支払う住宅ローンも滞りがち......なんて話は、プライドの高い元夫は絶対にしないはずです。
そんな訳で親友が出張してくる時にだけ元夫はスーツやワイシャツを新調し、普段は行かない少し良いお店で食事をして、ほろ酔いで帰宅します。
そして新しい服をハンガーに掛けると、いつものヨレヨレのTシャツとジャージに着替え、自分の部屋に篭って安い紙パックの日本酒をあおるのです。
部屋からはいつにも増して大きな声で怒鳴ったり、壁を殴ったり蹴ったりする音が聞こえてきます。
学生時代には仲が良く、同じように過ごしてきた友達との今の格差に耐えられなかったのかもしれません。
だけど、毎回そんな風に荒れるくらいなら、いっそ転職するとか副業をするとかして、少しでも収入を上げて差を埋めるように努力すれば良かったのに...
ついついそう思ってしまうし、口にも出してしまいます。
最初は単純に同情した時期もあったけれど、ある年に元夫が 「向こうは嫁さんも大企業の正社員だ。ウチみたいにパートと内職で食い繋いでるのとは訳が違う」 と言ったのを聞いて一切同情する気が無くなりました。
確かに私は大した稼ぎも無く、正社員でもありませんでしたが、そのお金で生き延びてきたのは誰なのか。
ずっと燻っていた「いつか離婚してこの家を出よう」と思う気持ちが、一層焚き付けられたのです。
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