<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ウジさん
性別:男性
年齢:60
プロフィール:人生で思い通りに行かないことはままあるものです。どう受け取るかが大事だということを娘に教えられました。
長女(現在27歳)は、小学校の頃から勉強が大好きな少女でした。
中学校ではいじめを受けて不登校気味になったときもありましたが、日々の勉強だけは続けていました。
高校に行ってからは常に成績上位で、英語教師になりたいと進路を固め、今はその希望を叶えて関東圏の中学校で英語教師として勤めています。
しかし、10年前の大学受験のとき、娘は思わぬ事態を迎えました。
「推薦決まったよ。面接さえ通れば国立大、大丈夫だって!」
「それはすごい! 勉強、頑張ってきたかいがあったな」
娘の高校から国立大の推薦を受けられるのは、毎年数名しかいません。
その候補として挙がるだけで、ほぼ合格は間違いなしと言われました。
ところが、この推薦入試に娘は合格できませんでした。
「...何か変なこと言ったかなあ、私...」
推薦と聞いて安心していたのですが、後から聞いてみると娘が志望した大学は推薦でも3倍を超える倍率になるとのこと。
どうやら自己アピールが苦手な娘は、先方の希望にそぐわなかったようでした。
「そういうこともあるよ、お前のせいじゃない。くじに外れたようなもんだ」
慰めにもならないようなことを言ってなだめましたが、娘の落ち込みようは相当なもの。
このショックは尾を引いたようで、共通テストでも思ったような力を発揮できず、第一志望と考えていた大学には届きませんでした。
結局、娘は滑り止めとして受けていた私大への進学を決めました。
「やっぱり浪人したほうがよかったんじゃないかな」
「来年もう一度受験してもいい?」
入学した後も、すっかり落ち込んでいた娘はそんな愚痴をこぼし、満足していない様子がありありでした。
しかし、2週間ほどたって、本格的な授業が始まると様子が変わってきたのです。
「英語教育法の授業が面白くって、早く子どもに教えてみたいよ」
「憧れていた本の著者、うちの大学にも授業をしに来てくれるんだよ」
「ESS(英会話のサークル)が楽しくって! 今度英語劇するから見に来て」
などなど、大学という学びの場は彼女にとてもマッチしたようで、毎日充実した日々を送れたのでした。
そんな4年間があっという間に過ぎて、卒業も間近になりました。
娘は大学でも良い成績を上げ、卒業式では総代を務めるまでになっていました。
「大学に関してはハズレくじだったなあ」
娘がポロッとこんなことを言い出しました。
ずいぶん充実した大学生活だと思っていたのですが、やはりスタートのつまずきが尾を引いているのかと心配になりました。
「でもさ、ハズレくじのほうがアタリだった、ってこともあるよね」
「どういう意味?」
「もしもアタリくじだったら、今のサークル仲間にも会えなかったわけだし、面白い授業にも当たらなかったかもしれない、ってこと」
「...確かにね。この大学に進学したからこそ、今の出会いがあったわけだ」
「この大学でよかったよ。最高に楽しかったもの」
満足そうな娘の顔を見て、与えられた環境を最大限に楽しもうとする人生訓を得たのだな、と感じました。
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