<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ヒミコ
性別:女性
年齢:49
プロフィール:49歳パート主婦。同い年の夫と小学生、中学生の子どもがいます。
結婚してしばらくは、共働きしてお金を貯めることに夢中でした。
でも、30歳になったとき、そろそろ子どもがほしいと思い始めたのです。
経済的な不安が残っていましたが、子どもを熱望していた夫の意見を受け入れて妊活を始めました。
もともと身体のことには気を遣っていたので、すぐに妊娠するだろうと思っていました。
ところがなかなか授からず、妊娠できたのは33歳。
とても嬉しかったのを覚えています。
しかし、心拍確認後に流産。
かなり落ち込みましたが、婦人科の医師には「よくあること」と言われたので、あまり深く考え込まないようにしました。
心身落ち着いたころに妊娠、結果、また流産。
処置も辛くて体調もすぐれず、落ち込んで何もやる気がなかった私に、その頃起業をした友人が「ときどきでいいから仕事のお手伝いをして」と声をかけてくれたのです。
新しい仕事は新鮮で楽しく、多忙な友人のサポートを頑張っていましたが、再び妊娠。
しかし、また心拍確認後に流産してしまったのです。
結局、流産は4回経験しました。
子どもをほしがっていた夫にも申し訳なく、病院でも「原因不明」と言われ続けてどうすればいいのか分からず、引きこもりがちになりました。
仕事が身に入らず、無断で休むこともあり、友人に迷惑をかけてしまいました。
周りの人は「赤ちゃんが弱かったから」「妊娠できるならすぐにまたできるよ」と励ましてくれましたが、どんな優しい言葉をかけられても気持ちは晴れませんでした。
そんな私に、仕事に誘ってくれた友人が「泣いて倒れても、タダでは起き上がるな」と活を入れてくれました。
そのような強い言葉をかけてくれたのはその友人だけでした。
ハッと目が覚めた感じがしました。
現実から目をそらして落ち込み、悲しんでばかりだったのです。
それから重い腰を上げて何軒か病院を回り、漢方薬局を訪ねて体質改善に取り組みました。
ある時、遠い知り合いの助産師さんを通して不育症の名医に出会うことができ、流産の原因が分かったのです。
保健適応外の検査でしか分からなかったのですが、血栓ができやすい体質で、胎盤に血液がうまく回らず胎児が育たなかったようです。
一般的に不育症の原因はまだはっきりとしていないようでした。
私の場合は血栓予防の服薬で流産を防ぐ効果が期待できるということで、妊娠してからすぐに治療を始めて無事出産できました。
今は2人の子どもがいます。
もともと落ち込んだら何にもできなくなるタイプで、今もときどき引きこもりがちになるのですが、友人の「タダでは起き上がるな」という力強い言葉を思い出して、気持ちの切り替えができるようになりました。
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