「最後になるから」情にほだされて流血騒ぎ!散々だった認知症の義母との旅行

「最後になるから」情にほだされて流血騒ぎ!散々だった認知症の義母との旅行 3.jpg

ペンネーム:NUTS
性別:女
年齢:50
プロフィール:関西在住。自営業の旦那との間に大学生の一男一女。仕事と子育てと介護を同時に経験した経歴を持つ。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

◇◇◇

ある日、義兄が「おばあちゃん(義母)を連れて一緒に旅行に行こう」と言い出し、亡くなった義父の故郷へ行くことになりました。義母は、身体は元気なのですが、認知症がひどく徘徊もするので、毎日介護している私は嫌な予感しかしません。ですが義兄の「最後になるから」の一言で、結局義兄一家と私たち一家総勢8名が車2台で出かけることになりました。

初日、義兄夫婦の車に乗せられ、義母も上機嫌で無事ホテルへと到着しました。

その夜のこと。日頃何を言っても頑としてお風呂に入らない義母が、義姉の誘いにあっさり

「お風呂に入る」と言い出しました。私と主人はびっくりでしたし、何より初めて来たホテルのお風呂。内風呂ならともかく大浴場に向かうというのです。

日頃から義母を見ている私は、いやな予感...。

大浴場は岩風呂でした。普段とは違い機嫌よく義姉に連れられて湯船につかっていた義母を見て、ともかく一安心したのですが、しばらくして義姉の「お母さんっ!」という焦った声に振り向くと、義母の脛がぱっくり切れて血がだらだら流れ出ていたのです。岩の段差に足があたってしまったようでした。

急いで傷をタオルで押さえ、脱衣場へ。ホテルの方に救急車を依頼している間に、私たちは大慌てで着替えたり主人や義兄に連絡したりと大騒ぎ。義母は自分の状況を全く理解しておらず、だまって私たちのされるまま、主人たちと一緒に救急車に乗り込んで地元の病院に連れていかれました。

怪我は足の傷だけだったこともあり、朝方には病院から帰ってきたのですが、大変だったのはここからです。

まず、義母は主人と義兄と一緒の部屋にいたのですが、主人たちは寝酒を決め込み、そのすきに義母は部屋から脱走。ホテルのスタッフが部屋まで連れてきて下さいました。主人たちの部屋には応答がないからと私たちの部屋に。義母を連れてきた時点で私にとっては介護の一環でしかなかった旅行ですが、せめて怪我をした母の面倒を今日くらい見てはいただけなかったですか? と大きなため息をついても許されるのではないでしょうか。

さすがにその日一日、義母は車いすで義兄が面倒を見てくれていましたし、帰りの車も義兄一家が同乗してお世話を引き受けてくれました。ただ家に帰りつき、義母が何事もなかったかのように家中を徘徊し始めると、一気にこれまでの疲れが出てきた私。「じゃあ、よろしく」と帰っていった義兄を心底うらやましく感じました。

その後、怪我をしたのを忘れて包帯を外し、部屋中を血まみれにしてしまった義母は、包帯が外せないように結び目を足の裏側に、その上からガムテープを張り、表側には「はがしてはダメ」と書かれた絆創膏を貼られることに。「なんでこんなのが巻いてあるのか」と怒り出すので、「はがしてはダメ」に「怪我をしています」を付け加えることになりました。それでもはがそうとしていましたが、ガムテープには負けたみたいです。時々、自分の足に書いてある文字を読んでは首をかしげていました。自分には怪我をした記憶が全くないので不思議だったようです。

高齢になると傷の治りも悪いので、完治するまでには時間がかかりました。認知症の人が怪我をするといろんな意味で本当に大変なことを身をもって知りました。

結局のところ、私は旅行で疲れ、家に帰ってからは、認知症に怪我の世話が追加です。義兄たちに悪気がないのはわかります。一緒に生活しているわけではないので、わからないのだと思います。最初に私がもっと強固に反対すればよかった、とか、せめてお風呂は内風呂に、とか、後悔先に立たずです。そして素直に楽しかった~と言えない自分に一番モヤっとしているのです。

関連記事:母と旅行に行って初めて気づいた「できない」加減がケタ外れ!/うちの親にかぎって!

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
記事に使用している画像はイメージです。
 

この記事に関連する「みなさんの体験記」のキーワード

PAGE TOP