性別:女
年齢:58
プロフィール:私は田舎の母の料理が大好きでした。そんな母が認知症になり一番大きく変わったことは、料理をしなくなったことです。
※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。
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私は家の目の前に山があるような、自然に囲まれた田舎で育ちました。家の近くの畑で野菜を育て、山には季節の山菜を取りに行き、料理好きな母はたくさんの食材でさまざまな料理をつくってくれました。
田舎らしい野菜が中心の食事でしたが、新しいもの好きな両親だったため、当時では珍しいようないろいろな種類の料理も食卓に並びました。私自身もそんな母の料理が大好きでした。
私が結婚し子どもが2人生まれてからも、母の料理好きは変わらず、子どもたちを連れて田舎に遊びに行くたびに、たくさんの御馳走を用意して待っていてくれました。そのおかげで、子どもたちも田舎の野菜や料理が好きで、遊びに行くたびに楽しみにしていました。
でも、ある日、そんな母が料理を全くしなくなってしまいました。きっかけはアルツハイマー型認知症の発症でした。物忘れが激しくなったことをきっかけに、近くの診療所の紹介で大きな病院に行ったところ、アルツハイマー型認知症が発覚したのです。
当時母は、85歳でした。母の症状は不安定で、ものすごくしっかりしているときもあれば、トイレに行くことができなかったり、着替えの途中に家を出てしまうこともあったりと、驚くこともたくさんありました。しかし病院で処方された薬を飲むことで症状は安定し、私自身や普段母のお世話をしている妹やヘルパーさんも母とのコミュニケーションをうまくとれるようになっていきました。それでも変わらなかったのは、料理をしなくなったことです。
遠くに住んでいる私も、子どもたちが自立していたため、定期的に母の様子を見に田舎に帰っていました。そのたびに母が料理をつくってくれていた今までを思い出し、少しさみしい気持ちになります。
母は料理の仕方を忘れたわけではなく、料理をすることが億劫になってしまったようでした。認知症を発症してから、母の食べ物への関心は時間が経つごとに薄れていったように思います。
いま、私は田舎に帰るたびに母に料理をつくっています。母の味を思い出しながら、母が私につくってくれたように、今度は歳を重ねた母のために私が料理をするのです。
私は最近、料理というツールを通して親子の絆のようなものを感じています。小さい頃から食べていた忘れられない母の味。私が同じようにつくっても完全には同じ味にはなりません。でも、きっとそれが母の味というものなのでしょう。
それでも、私は母の味を思い出して料理を作り続けたいと思っています。そして私から子どもたちへ......。そうやって絆が結ばれていくものだと信じているのです。
料理をつくる楽しさを教えてくれた母。その母の味はいつまでも忘れることはありません。
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