いつか虹の橋のたもとで会おうね。温もりと癒しをくれた愛猫との別れ

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ペンネーム:向日葵
性別:女
年齢:50
プロフィール:「大好きな向日葵のように前向きに!」がモットーの、3人の子ども&脳梗塞の夫と暮らす、ワーキングマザーです。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

わが家に、ヒマラヤンの「ネコちゃん」がやってきたのは、今から15年ほど前。みぞれ交じりの冷たい雨が降る寒い冬の夜のことです。

自営業をしていた夫が帰宅後、「取引先の人から貰った」といってミカンの段ボール箱の中から取り出したのは、「ミィミィ」と可愛らしい声で鳴く、まっ白い真綿のような小さな子猫でした。

「あー!ネコちゃんだぁっ!」「かわいいーっ!」正に生きたヌイグルミ。あまりの子猫のかわいさに、2人の娘たちは釘付け状態です。

当時長女は8歳、次女は2歳。しっかり者のおとなしい長女の育児がひと段落したときに生まれてきた次女は、長女とは性格が正反対で元気いっぱい、自己主張もいっぱい。この時期イヤイヤ期の真っ最中だった次女の扱いに、私は、正直なところ少しばかり手を焼いていました。

そんなときに、その子猫はやってきたのです。長女の小学校で行われた育児に関する講演会で「動物を飼ってお世話をすると、人を思いやる気持ちが育まれますよ」という話を聞いていた私は、「これは次女に思いやりの気持ちを育むいいチャンス!」と思い、2人の娘たちを「子猫のお世話係」に任命したのです。

まずは、名前を決めるところからスタート。「みぃーちゃん」「しろちゃん」「ちびちゃん」「ネコちゃん」。たくさんの候補の中から娘たちが選んだのはなんと「ネコちゃん」という名前でした。「ネコ」ではなく「ネコちゃん」までがワンセットの名前です。子どものネーミングセンスのユニークさに、思わずニヤニヤと頬の筋肉が緩んだことを良く覚えています。そして、「ネコちゃん」は、娘たちの「かわいい妹分」になったのです。

 

生き物を飼うということは、ただ可愛がるだけではすみません。毎日決まった時間にご飯をあげて、トイレの掃除もしなければならないのです。初めは「本当に幼い娘たちに猫のお世話ができるのかしら?」と不安でした。でも私の心配をよそに、娘たちは実にかいがいしくネコちゃんのお世話をしたのです。もちろん、率先してお世話をしたのは長女でしたが、次女も「キャットフードを入れる係」や「猫砂を補充する係」など、一生懸命、それも楽しそうにこなしていったのです。今にして思えば、ネコちゃんをお世話しはじめてから、次女のイヤイヤ期は徐々に治まっていった気がします。

そして、あっという間に年月は過ぎ、娘たちに優しい心を育んでくれたネコちゃんは、冬を目の前に、15年の寿命を全うして旅立って行きました。私の膝の上で大きなため息をひとついた後、眠るように目を閉じだネコちゃん。一番、大泣きしたのは、何を隠そう母親の私です。

思えば、育児に迷ったとき、夫とケンカしたとき、そのほか諸々の愚痴を聞いてくれたのはネコちゃんでした。娘たちのためと言いながら、いちばんネコちゃんの存在に癒されていたのは、私だったのかもしれません。そして、襲ってきたのはいいようのない喪失感。いつも傍らにあった優しい存在がもう感じられない切なさで、胸がチクチクと痛みました。

 

そんなある日、あまりの私の意気消沈ぶりを心配した次女が、一冊の絵本を贈ってくれたのです。その絵本のタイトルは『虹の橋』。先に旅だっていったペットたちが、虹の橋のたもとに広がる草原で、痛みも苦しみもなく幸せに暮らしている様子が、柔らかな色彩で描かれていました。いつかやってくる飼い主を待っている絵本の中のペットたちの姿に、元気に飛び回っていたころのネコちゃんの姿が重なり、思わず涙がほろり。そして何よりも、娘の優しい気持ちが嬉しくて、涙、涙の母でした。

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