性別:女
年齢:48
プロフィール:18歳で親元を離れで学生時代を過ごし、現在も親とは離れた状態で暮らしているシングルマザーです。
※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。
中学生の娘を筆頭に、3人の子どもがいるシングルマザーです。
昨春、10数年の結婚生活にピリオドを打ちました。
現在は、持ち家で子どもたち4人で暮らしています。
すでに70を越えた両親は、車で3時間の距離の実家に住んでいます。
私が離婚するにあたって、母は「ひとりで子育てするのが大変なようなら、実家近辺へ戻って暮らしたら」と言ってくれたのですが、父が断固拒否。
理由は「俺が恥ずかしいから。世間様に顔向けできない」でした。
父は私にそのことは直接言いません。母経由でそのことを聞きました。
とはいえ、父の性格からそう言われるだろうなと私も予測していたので、あまり落ち込んだりはしませんでした。
昔から父は典型的な「モラハラ(モラルハラスメント)」タイプ。とにかく自分が一番なのです。
勤め先や近所では、面倒見が良いことで評判の外面の良い人でしたが、家の中では全て自分が基準、自分の気に入らないことは家庭の中では通用させませんでした。
私も物心がついたころから、父の機嫌を伺って生活していたように思います。
一方で機嫌が良いときの父は、母とも笑いながら話す時もあったし、私や弟と遊んでくれることもありましたが、最後はいつも叱られて終わるというのが、常。
父と遊んで、心の底から、あ~楽しかったという思い出がほとんどありません。
父はいつも怒っているというイメージです。今でこそ、モラハラという言葉が世間的にも認識されるようになりましたが、私が子どもの頃は「妻・女性・子どもが収入のある夫・父にの言うことは何でも素直に聞いて、我慢するのが当たり前」のような風潮がありました。
そのことに疑問を持つことはありませんでしたし、そういうものなんだと自分で自分を納得させなければ生きていけなかった気がします。
父が文句を言うターゲットは、当時も今も相変わらず母です。母の言動・態度に逐一文句や嫌味を言い、母がちょっとでも言い返そうものなら父が理不尽に怒鳴る(お前は黙っとけというセリフが多かった)、そして母が泣くという繰り返しを毎日のように見て育ちました。
中学生になり、反抗期に入った私が、余りにもひどい言動の際に、母を庇って父に意見したこともありましたが「父親に逆らうな。お前(母)の躾が悪い」と逆に母が怒られていました。もちろん、私も怒鳴られ、時には平手も飛んでくることがありました。
でも、そんな風に罵られる毎日でも、母が離婚したいと言うことはありませんでした。本当に不思議でした。単純に嫌なら別れたらいいのに・・・とずっとずっと思っていました。
結局、釈然としないその父母の関係や、ギスギスした家の雰囲気に私が耐えられなくなり、大学進学と同時に家を出ることにしました。
その後、進学から就職までは誰の目を気にすることなく人生を謳歌したのですが、結婚し子どもができた時点でつまずいてしまいました。
子どもたちが私のような思いをしないよう、あたたかく毎日楽しく笑って暮らす家庭にしようと思いつつ、私が選んだ相手は何と父とそっくりなタイプだったのです。
相手の言うとおりにしないと一方的に私が怒られたり責められたりすることが、幾度となくありました。でも、数日したら元のさやに戻るを繰り返していたので、「私が我慢していればこの生活は続くんだ、父母と同じ道をたどればいいんだ」と思っていたのですが、私の場合はあえなく強制終了されてしまいました。
相手が結婚生活が破綻した原因は私だと言い出し、私の反論には全く聞く耳持たず、事実は捻じ曲げて、結局、離婚になってしまったのです。
シングルマザーになると知らせた時の母の第一声は「私らを反面教師にして、あんたは幸せな家庭を築いたら良かったのに」でした。
私が離婚して痛感しているのは、「母は強すぎる」ということでした。父にどれだけむちゃくちゃ言われても離婚を選ばなかったのは、腹は立つけどどこかで許していたということなのでしょう。
父の行為がモラハラだということも、母は最近では認識しているようです。
子どもたちは私の父母(子どもにとっては祖父母)が大好きなので、たまに実家へ戻りますが、孫の前でも臆せず父は母へ文句を言います。(最近では長男が窘める時も・・・)
でも、夫婦そろって大きな病気もせず、なんやかんやで二人元気に過ごしているので、それはそれで一つの夫婦の形なんだろうな、と納得しつつあります。
- ※
- 健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
- ※
- 記事に使用している画像はイメージです。