母の認知症、兄のがん。わが家のきょうだいでの役割分担のあり方

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ペンネーム:こみく母
性別:女
年齢:58
プロフィール:私は4人きょうだいの長女です。父は早くに病気で亡くなり、母と妹が田舎に暮らしています。親の介護についてきょうだいで役割分担を決めた話です。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

私は4人兄弟です。実家は都心から離れていますが、結婚してからも年に1度は帰省していました。一番上の兄は64歳のときに肺がんで亡くなりました。次男である兄は結婚し、田舎を離れ、県外に住んでおり、父もずいぶん前に亡くなっていたため、現在実家には母と妹の2人で暮らしています。


それから数年後、母が85歳を超えた頃、認知症の症状が出始めました。空耳や幻聴、そして幻覚を見るようになり、夜中に目を覚まして家の中をさまようことが増えてしまいました。そのため、同居している妹が1日中母を見る生活です。


ちょうどその頃、結婚していた兄が離婚し、田舎に帰ることを検討していました。仕事も定年になるため、区切りを付けて帰ろうとしていたのです。ところが、時を同じくしてその兄にがんが見つかりました。状態も悪く、田舎までの移動が体力的にも治療状況的にも難しいと医師に言われました。田舎と兄の住む県の中間にいる私は、少し無理をしてでもどちらにもお見舞いや手伝いに行っていましたが、そんな生活も長く続かず、私だけではサポートできない状態になりました。


兄と母の件について、家族で話すことになりました。兄は田舎に帰れるように治療を頑張ることを決め、病院で闘病しています。母は、「家族で暮らした家を出たくない」、「ギリギリまで施設には入らず見てほしい」と話していました。私と妹は、本人たちの気持ちを第一でサポートしようと決めました。母のサポートをするため、妹はヘルパーと一緒に母を在宅で見守っています。私は、時間ができると兄の病院にお見舞いに行くようにして、今後のことを兄と話すようになりました。

母や妹は、がんになってからの兄に会うことはできていません。兄も、母に会いに行けるようになるか、いまだにわからない状況です。闘病している本人の気持ちを考えれば会えるものなら会いたいだろうと思いますが、一緒に時間を過ごすだけが家族ではなく、離れていても支え、役割を担うことが家族のサポートの仕方、あり方なんだと改めて思うようになりました。


とはいえ、私には私の人生、妹には妹の人生があります。「役割分担はするけど、自分たちの生活が第一。介護疲れを起こさないように無理は禁物」と、私と妹はお互いに話しました。それぞれの生活の中でできることをサポートすることが、この役割分担の決まりです。
今は分担して介護やサポートを行っていますが、私や妹もいつ病気になるかわかりません。子どもに面倒を見てもらう、施設に入るなど選択できる今だからこそ、これを機に老後について家族で話し合う時間を見つけて話しておきたいと思いました。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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