性別:女
年齢:62
プロフィール:一人で店を切り盛りしていた義母が76歳のときに同居を始め、85歳から88歳で亡くなるまで要介護2の状態での介護をしました。介護認定を受ける前もすでに要支援状態だったと、いまでは思います。徐々に義母が変わっていたことを後になって気が付き、もっと別のやり方がたくさんあったかもしれない、と申し訳なく思っています。
店舗兼住宅に長年一人で暮らしていた76歳のおばあちゃん(義母)のところに、長男である夫と私と息子3人家族が越してきて同居を始めてから5年が過ぎていました。同居といっても、建物が同じなだけで、居住空間は全く別の2世帯住宅。生活は全く別で、時折一緒にご飯を食べる程度でした。同居開始からお店の経営は徐々に私達夫婦に代替わりし、おばあちゃんは散歩をしたり、老人クラブへ行ったり、親戚の家に行っておしゃべりをしたり、悠々自適にくらしていました。
ただ、気まま過ぎるためか、おばあちゃんの居住区はかなり散らかり汚れていました。ですが、これまでも長くこうやって暮らしてきたわけですし、一人を楽しんでいる様子だったので、今さら私が小言をいうこともないと、口は出さないでいました。
ただ、耐えられないことが1つありました。おばあちゃんはおしゃべりが大好きで、店内に私とおばあちゃんの2人だけになると、途端に始まる昔の自慢話と厳しかった姑の悪口。これを延々と聞かされるのです。忙しく気持ちにゆとりのなかった私には、これがとても苦痛な時間でした。
ある日、おばあちゃんをスーパーに誘うと、「私は行かないけど、お寿司を買ってきて」といわれたので、おばあちゃんの好きそうな寿司の詰合せを買って、部屋の戸を開けると、衝撃が走りました。目に染みるような悪臭がするのです。季節は冬にもかかわらず、ハエが飛びまわり、その中でおばあちゃんは平然とロッキングチェアに座り相撲を見ていました。私は、息を止めながら、おばあちゃんにお寿司を渡し、逃げるように部屋を出ました。何か腐ったものがたくさんあるようですが、床が見えない状態までちらかっているカオスの世界。汚れ方が尋常ではないと思ったのですが、直視できない現実に私はあえて見ないふりをしてしまいました。
ですが、そして翌日の午後、やはり心配だった私は、またおばあちゃんの部屋を訪ねました。またお寿司をリクエストされました。「なんだか食欲ないけどお寿司なら美味しく食べられる」というのです。とりあえず、昨日とは違うお店から購入し届けました。その時、ふと部屋の前からトイレに続く廊下に、点々と汚れがあることに気が付きました。便秘気味のため処方された下剤が効きすぎたのでしょうか、間に合わなかったようでした。あの耐えられない悪臭の原因はこれもあったようです。
これは何とかすべきと思いました。ですが、まだ本気でおばあちゃんと向き合う気になれない私がいました。当時私は忙しく、時間も気持ちも余裕がありませんでした。何とか一過性の症状ありますようにと思う気持ちがあったのです。
しかし、事態は深刻でした。3日目は夕方になっても部屋の電気がつきません。ストーブをつけるのが億劫だったのか付けられなかったのか、明るいうちに布団に入ってしまったようでした。やはり放っておけないと思った私は、「おばあちゃん大丈夫?」と声をかけると、「もういい、あたしなんか早く死んだ方がいいんだ。何にもいらない。放っておいてください」とかなり感情的な叫びがかえってきました。
なんと言っていいのか言葉が見つからなかった私は、だまってそのまま戻りました。きっと朝から何も食べてないはず、なにか口に入れないと高ぶった気持ちが落ち着かないだろうと思ったのです。私は料理があまり得意ではないのですが、夫に協力してもらい、魚の煮付けとけんちん汁、炊き立てのご飯を添えて、おばあちゃんの部屋に置きました。
翌朝、軽い朝食を持って部屋に行くと、まだ寝室にいる様子でしたが、前夜の食事は全部食べていてくれました。ほっとしながら「おばあちゃんここに朝ごはん置くからね。ちゃんとインシュリン打ってから食べてね~」できるだけ平静を保った普通の声で寝室に向かって声を掛けました。返事はありませんでしたが、そのまま戻りました。
この時、私の頭を駆け巡ったのは、この頃のおばあちゃんの様子でした。
そういえばいつのまにか老人クラブも行かなくなっていました。もしかしたら、粗相をするのを気にして行かなくなったのかもしれません。そして、この半年間、時折深夜にものすごい音量でラジオをつけていたことにも思い当たりました。寂しい気持ちがそうさせていたのでしょう。前はきちんと出していたゴミも、出さなくなっていました。なにもかも、面倒になってしまっていたのです......。
それらに気づかず、つらい思いをさせてしまっていました。
私は、さっそく市の介護相談窓口へ行き、現状を説明。デイサービスを紹介してもらいました。同世代の人たちと接することで、おばあちゃんも気分が変わるだろうし、衛生面も体調面も見てくれるので、家族も安心です。また、デイサービスに行っている間、おばあちゃんの部屋を掃除することもできます。費用は、介護認定をもらえば健康保険が使えるので、年金の範囲でまかなうことができました。
問題はおばあちゃんがどう思うかです。普段から「私は老人ホームなんかには行かない」とまるで老人ホームを姥捨て山のように思っているところがあるので心配していましたが、これは、ケアマネージャーの方の包み込むような温かい対応で懐柔し、おためし通所までスムーズに進むことができました。さらに、デイサービスでは、知り合いがたくさんいて、おばあちゃんに声をかけてくれたので、無事解決。週2回の通所を楽しみにするようになりました。
そして、食事メニューは、主人からこの家の味の好みを聞いたり、じゃっぱ汁などの郷土料理を教わったりして、なんとかおばあちゃんの好きそうな料理を作る工夫をしました。時には、運動がてらおばあちゃんが良く通っていたスーパーマーケットに連れて行ったりしました。おばあちゃんは自分の手押し車を押しながら歩き、あれこれ食材を選び、みるみるカゴは山盛りに。以前の私なら「そんなに買っても腐るだけだよ」と言ってかごから出したりしたのですが、食材を面白いようにどんどん積極的にかごにいれるおばあちゃんを見て、これも食べたいんだろうな、あれも作りたいんだろうなと思うと、今日はどの料理しようかなどど、私も楽しい気持ちになるのでした。料理好きで濃い味の好きなおばあちゃんだったので、きっと私の料理では不満もあっただろうに、毎食きれいに食べてくれましたし、食べたい料理を注文してくれるようになりました。
また、必要だったインスリン注射もかなりいい加減なやり方をしていたことがわかったので、月に一度の通院も私が付き添い、毎日の注射も医師の指導の下、私が投与することになりました。おばあちゃんは注射を自分でうまくできなくなっていたことも知っていたようで、朝晩の食事前の注射を素直にさせてくれました。「おばあちゃん御飯だよ~」と食事を持っていくと、もうシャツをめくってお腹を出してスタンバイしてくれます。血糖値を測って、注射をします。その間、いろいろな話をします。もちろん全部何度も聞いた話ですが、なんだか歌のようで、ああ今日はこんな気分なんだな、と思えるようになっていました。
そして、ご飯。食べるのを見ながら、手の届くところのごみや汚れをささっとふき取り、「今度、もう少し掃除させてね」思い切って聞いたら、「いいよ、自分でやる」ではなく、「うん、ありがと」と。心を開いてくれた!!と実感した瞬間でした。
それから、少しずつゴミだらけの部屋の掃除に着手することができました。そこでわかったのは、ガスレンジが壊れてうまく点火できなくなっていたり、ストーブも古くなって火力調整が上手くいかなくなっていたことです。そもそも、嗅覚も視力も相当悪くなっていて、部屋を片付けるとか、壊れたものを直すというところまで気がまわらなくなっていたのでしょう。
そもそも、義母を嫌いという気持ちはありませんでしたが、世に言う「同居」=「嫁姑の諍い」という先入観から、不干渉という防衛線をはり、義母を敬遠していた自分の思い込みに気が付き、もっと様子をこまめに見てあげれば、こんな風にならなかったのかもしれないと申し訳なく思いました。
そして、いつの間にか、義母は私にとって、とてもいとおしく思える存在になっていたのでした。
そんなことを考えながら掃除を続けると、ハエもいなくなり、部屋の匂いも徐々に軽減していきました。
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