「在宅介護の末、父を看取った高齢の母。抜け殻のようになってしまった母は「生きていても意味がない」と口にするようになってしまいました。さらに追い打ちをかけるように、不幸が重なり...。『老いることとは』と考えさせられる毎日です」
■さらに追い打ちをかけるように不幸なことが...
母は昨年夏に道路で転んでひざの骨を複雑骨折してしまいました。
それまで足腰が丈夫で私よりもスタスタと歩いていた母がそろりそろりとしか歩くことができなくなってしまったのです。
痛みも相当あるようで、背骨を圧迫骨折したときも辛抱していた母が、手術から半年たっても痛い痛いと言っています。
それに加えて、昨年には仲の良かった友達や幼なじみや同年代の知り合いの方が、自分に会いに来た後に続けて亡くなってしまったとのこと。
「きっとみんなお別れの挨拶に来たんだわ。この前まで元気で仲良く話をしていた人たちが次々にいなくなってしまった。 もう私一人で生きている意味がない」。
電話口でそれは辛そうな母の言葉でした。
私の中では、夫が亡くなった後、妻は生き生きと余生を送っているというイメージがあったので、母も大丈夫だろうと思っていたのですが、考えてみたら母はもう83歳。
楽しくすごしているような方々はもう少し年齢の若い方々なのだなと改めて思い知りました。
母とは海外旅行なども一緒に行きたかったのですが、祖父母4人の介護、そして今度は私の子育て、そしてまた父の介護と機会を逃してしまい、今はもう年老いて足も悪くなった母を海外旅行に連れて行くこともできません。
そして今は一人で暮らしている母。
幸い明るい日差しの差し込むとても住み心地の良いマンションなので、一人でもそこまで心配していなかったのですが、よく考えてみたら母は結婚まで自宅暮らし。
生まれてからこれまで一人で夜を過ごしたことがないと気づきました。
一人で過ごす夜は寂しいだろうな、と初めて思いました。
今までのように歩くこともできない自分に辛い思いをしているのでしょう。
ましてや、身近な人が一人一人と亡くなっていく年代です。
自分の先行きを考えたときにもう楽しみも希望もないと感じてしまうことは、どんなに寂しいことなのでしょう。
普段は明るい母の心の中の寂しさを感じ、改めて老いることはこういうことなんだと考えさせられて、私まで寂しくなってしまいました。
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