「がんを患っていた母が突然マンションを購入しました。それまで住んでいた一戸建ての価値が下がることで子どもに迷惑をかけたくないという思い...。病気で辛いはずの自分よりも娘である私を思う母に感謝の気持ちでいっぱいです」
■命をかけて「生きる姿勢」を教えてくれた母に感謝
主治医から父への電話で、母の余命は、1カ月から1カ月半と告げられました。
信じられませんでした。
主治医からの電話以降は毎日毎日泣きました。
最後まで希望を持たせたいという父の意向を主治医に告げ、余命のことは最後まで言いませんでした。
というより言えませんでした。
いつも何事にも前向きな母にそれを伝える勇気がなかったのです。
母は一度自宅に戻り、亡くなる2週間前も新しいマンションのことで不動産屋とやりとりをしていました。
足がむくんでつらそうだったのに、電話では病気とは思えない勢いで話をしていた母。
亡くなる3日前に再び入院し、母と交わした最後の会話は、亡くなる前夜。
病院から帰るときでした。
明日も当然のように訪れると思った私は「お母さん、また明日くるから」と母と別れ、母は「気をつけて帰りや」と最後まで私達を案じる一言。
次の朝、病院から連絡があり駆けつけたときには、もう話せる状態ではなく、引っ越しまであとひと月というところで、母は息を引き取りました。
母は病気のことを、ほとんど誰にも伝えていませんでした。
母が亡くなったことを近所にも伝えずに引っ越しの日を迎えました。
母は引っ越しのときに、ご近所へのお礼の品としてすでに用意していた注染(ちゅうせん)手ぬぐいと母の故郷で育った柿を配るといっていたので、私達は母の故郷の柿を添えて、お世話になった方々にお礼と母のことを伝えまわりました。
特に仲良くしてくれた人は病気であることは全く気づかず、驚き、涙を流し、「でも、なんか、お母さんらしいお別れの仕方やわ」と言って泣いてくれました。
その人は、母の育てた庭の花が欲しいと言って受け取ってくれ、母との別れを惜しんでくれました。
つらいこと、しんどいことを絶対に人に見せない、心配をかけない母でした。
親しい人の中に元気な母が残っているなら、娘としてはうれしい限りです。
最後の最後まで母らしいお別れの仕方で、きっとあの日母も隣にいてお別れをしていたと思います。
命をかけて、大事なことをたくさん教えてくれた母に感謝しかありません。
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