平日は介護施設、週末は在宅。8年間にわたる義父の介護

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ペンネーム:あさかのまあちゃん
性別:女
年齢:73
プロフィール:脳梗塞で右手脚麻痺になった義父の介護と仕事をなんとか両立させました。これは、私がまだ若かった(50代)から可能だったのかもしれません。これから考えられる私たち夫婦の老老介護になった場合、どうなるかと心配していますが、体操教室に通うなりして、せいぜい体を鍛えておきましょう、と思っております。

20年前、義父が脳梗塞で倒れ、車椅子状態になった時、家族は私たち夫婦だけでした。当時は二人共忙しく仕事していましたし、経済的にのっぴきならない生活でした。いろいろと介護施設をたらい回しの末、市の特養に落ち着いたとき、正直ほっとしたのを覚えています。ただ、そのまま施設に預けっぱなしでは認知症になってしまう恐れを感じていた私は、できるだけ家で過ごしてもらいたいと思いました。というのも、老人保健施設(当時の名称)へ入所していた時、年末に帰宅して主人の弟、妹たちと集まった時、義父は自分の子どもたちのことがわからなかったのか、少し様子が変だったことがあったからです。

そこで、特養の担当の方と交渉して、毎週土曜に帰宅して翌月曜に施設に戻る、また、ゴールデンウィークやお盆休み、年末年始はできるだけ家に帰ることにしました。家族とのふれあいが一番との考えでしたので、担当の方はとても喜んでくださいました。
義父が入所していた特養は、とてもいいところで、職員の皆さんがよく話しかけてくだり、毎日車椅子でホーム内をぐるぐる散歩してくれていました。ですがやはり、義父は毎週末の帰宅は心待ちにしていたようで、迎えに行くと玄関で嬉しそうに待っていました。月曜に特養に帰るときは、義父本人は仕事に行くという感覚だったようです。また、特養ではクリスマスとか、節目節目に家族を招いていろいろな行事を開いてくださり、私たちも参加いたしました。少し子供っぽいものでしたが、退屈しないようとの職員の熱意が感じられ、嬉しく思いました。
ただ、一度だけトラブルもありました。義父のベッドに柵をはめようとされたことがあり、それを義父が怒って、はずみで少し怪我をしたのです。柵について本人に説明くださればよかったのですが、いきなりだったそうで、義父は腹がたったのだと思います。年を取っているとしても、何もわからないのではないので、やはり人と人の会話は大事だなと思いました。

家では、在宅での介護のため、車椅子を家に上げるための取り外し式の傾斜板を近所の大工さんに作ってもらいました。そして、帰宅したときは時間が許すかぎり、近所の散歩に連れ出しました。うちの周りは坂が多く、上り坂は息が切れるし、下り坂は絶対車椅子をしっかり握っていないと、と必死です。でも、義父の様子を見ると、外の空気にふれると生き返るような思いをしていたのではないかと思います。ですので、大変でしたが、コースを変えたりして長く散歩を楽しみました。
面白いことに、近所のおばさま方は、義父が車椅子に乗ったまま(あたりまえですが)私にあっちこっちと指図していたのを見て、私をいじめていると思ったらしく、気の毒がられました。本人が行きたい方にただ歩いただけだったので、びっくりするやら面白いやらです。
私は土曜でも仕事をすることがあり、仕事の電話と義父のおむつ替えが重なるなど介護と仕事の両立は大変さもありましたが、「気にしない気にしない」と自分を追い詰めずにこなすよう努めました。
自宅では、極力普段通りに義父と共に生活をしたつもりです。一見認知症もなくなったようにすら見えるほど、帰宅している義父はうれしそうでした。

結局、義父は8年くらいホームにおりました。最後の週末は特養のドクターストップがかかり、帰宅できませんでした。翌週の火曜日早朝、ホームから電話がはいりました。夜中に発作を起こして、意識不明となって、救急車で指定の病院に入院したとのこと。病院には特養の看護師さんが様子を見に来てくださり、そのまま翌朝亡くなりました。お通夜や告別式のときには、特養の職員みなさんが交代でお参りしてくださいました。心から感謝いたしました。

義父は幸福だったかどうかわかりません。ただ、これだけははっきりといえます。少しでも義父と一緒にいられたことは、私たちにとって幸せなことでした。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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