ひどい下腹部痛...更年期障害と侮っていたら子宮内膜症でした

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ペンネーム:フカユキ
性別:女
年齢:49
プロフィール:夫が2年の闘病の末、悪性リンパ腫で亡くなりました。2人の子供だけでなく、要介護2の義母を抱え、借金もあり、正直お先真っ暗でした。それでも周りの人から助けられて何とかやっています。

ちょうど夫が悪性リンパ腫だと分かった2013年、私の体の中にも変化が起きていました。

急に体が暑くなり汗が止まらなくなったり、月経でもないのに不正出血が続いたり、そうかと思うと月経時に大人の親指の先ほどもある血の塊が出てきたり、何だか変な感じでした。

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その頃の私の1日は、午前中に家事と介護を済ませると、昼食を義母に食べさせ、午後には夫の病院に行き、2、3時間ほど過ごし、夕方に帰宅。夕飯の支度をして、ご飯を食べたら細々とやり残した1日の家事をするというものでした。大抵、布団に入れるのは毎日日付の変わった頃だったと思います。自分の体調が変だといっても、病院で診てもらう時間もなく、不調を感じながらも慌ただしい日々を過ごしていました。


そんなことを続けていた2014年の春。発症から1年経った夫の容態は一進一退を繰り返していました。歩くのも困難な義母が体中の痛みを訴えるので、整形外科に連れて行く毎日でした。
そんなある日、いつものように、朝起きて家事を片付けていると、猛烈な痛みが下腹部に走りました。あまりの痛みに脂汗がにじむほどでした。市販の痛み止めを飲みましたが全く効かず、ザッと義母の世話と家事を済ませると、近所の婦人科に飛び込みました。
症状と経過を話すと、すぐに診察台に乗せられ触診。言われた一言が「どうしてこんなになるまで、病院で診てもらわなかったの」でした。
私は自分の中で単なる更年期障害だと片付けていましたが、私の更年期障害の症状は子宮内膜症と一緒になっているものだったのです。それも卵巣と子宮の癒着が相当進んでいるという話でした。
その日の内に低用量ピルが処方されると、これからの治療法を考えるため1週間後に再診を受けることになりました。

私は何を言われるのだろうと心配になっていました。子宮内膜症も重ければ手術になるかもしれないと、知人から聞いたからです。更年期障害の症状だけなら何とかやり過ごせるけれど、これで私が入院して手術などということになれば、我が家が立ち行かなくなると、その時の私の頭の中ではそれしかありませんでした。
そんな私に、先生は入院や手術ではなく、低用量ピルを閉経が来るまで飲むという治療法を選んでくれました。子どもが2人いるので不妊治療は必要ないし、年齢的にも46歳なので5年も経てば閉経を迎える歳になるはずなので、それまでピルで乗り切ろうというのです。私はこの治療法を選んでくれた先生にとても感謝しました。

先生の話によると、低用量ピルを飲むことで、血中の女性ホルモンの量が安定し、更年期の不快な症状の緩和や子宮内膜症に伴う痛みや出血を減らしてくれるというのです。もちろんいいことばかりではなく、吐き気や頭痛といった軽いものから、血栓症などの副作用の話も聞きましたが、私はとにかくそれにかけてみることにしました。

ただ、私は自分の病気のことを夫と義母に伝えられませんでした。心配をかけたくなかったというのもありますし、もっと重いガンという病気に比べたら、大したことのないような気がしたのです。
しかし、そう割り切っていたはずなのに、体の不調を家族に伝えなかったことで、自分の病気で病院に行くにも嘘をついて行かなければならず、嘘を重ねるたびに、本当のことを伝えられなかったことを辛く感じました。また本当に体調が悪く、立っているのもやっとのような時もありました。それでも毎日、バスと電車を乗り継いで病院まで行くのは私も家族も当然のことだと思っていたので、弱音を吐くこともできなくて、そのことも辛さに拍車をかけていたように思います。

おかげさまで、低用量ピルを飲むようになってから、幾分症状は落ち着き、とにかく目の前にある、しなければいけないことを片付ける日々が慌ただしく過ぎています。まだ主人を亡くして辛いこと、悲しいこと、思い出すことはありますが、体を動かせるので幾分気が紛れ、深刻に考え込まずに済んでいます。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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