<この体験記を書いた人>
ペンネーム:濃姫
性別:女性
年齢:45
プロフィール:夫(47歳)、娘(19歳)、息子(14歳)の4人家族。夫の両親と半同居生活。現在、夫とは離婚に向け話し合い中。
25年前、短大卒業後に入社した会社の同期、A輔(享年24歳)の話です。
A輔は学生時代にラグビーをしていて体が大きく、いかにも健康体そのもの。
性格はまじめで優しく、社内の飲み会などでは一生懸命に場を盛り上げようと、飲めないお酒を無理して飲むような人でした。
1999年の秋、入社して2年間無遅刻無欠勤の彼が風邪をこじらせて肺炎になり、入院したと聞きました。
心配になってメールをしてみました。
「肺炎をこじらせちゃったみたいだけど元気だから大丈夫だよ。2週間ぐらいで退院できると思う!」
返信が来たので安心していたのですが、1カ月過ぎても彼は出社してきません。
何度かメールをしてみましたが返信もないので心配していると、同じ支店に配属された同期5人がA輔の上司に呼ばれました。
「今日A輔のお見舞いに行くつもりでいたのだが、上司の俺たちだとA輔も恐縮してしまうだろうから、今度5人でA輔のお見舞いに行って様子を見てきてくれないか?」
ちょうど同期5人で「A輔を元気づけに行きたいね!」と話していたので、上司に言われた日にお見舞いに行くことになりました。
病室の入口から部屋を覗くと、A輔は点滴を受けながら眠っていましたが、私たちの気配で目を覚まし、驚きながらも喜んでくれました。
1時間ほど他愛もない話をして楽しく過ごしました。
帰り際、A輔は点滴を引きずりながらエレベーターの前まで見送ってくれました。
「もうすぐ退院して復帰するから、もう病院には来るなよ」
おちゃらけながらA輔は言っていましたが、頭がつるつるになっていたことで、5人とも病院を出てから口数が少なくなっていたことを覚えています。
その後、2回お見舞いに行きましたが、目に見えてA輔は痩せていき、顔色も悪く、最後に会ったときはベッドから起き上がれない状態でした。
ただ「俺、絶対に良くなるから」と、いつも力強く言っていました。
2000年12月、彼は肺癌のため24歳の若さでこの世を去りました。
私は彼の訃報を聞いたとき、ショック過ぎて事実を受け止められず、涙もこぼれませんでした。
そんな状態のまま通夜と葬式の手伝いをするため斎場に行き、彼のご両親にご挨拶をしました。
「まるで眠るように安らかに逝ってしまいました。顔を見てあげてください」
A輔のお父さんが彼に会わせてくれたのですが、「安らかに眠る」という表情ではなく「生きたい! まだ死にたくない」という表情に私は感じました。
このとき初めて彼の死と壮絶な闘病を現実に受け止め、涙が溢れて止まりませんでした。
そして、生きたかったけれど生きられなかったA輔の分まで、この先どんなことがあっても自分の人生を生き抜くからね...とA輔に誓ったのです。
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