性別:女
年齢:50
プロフィール:12歳から24歳の3人の子ども&脳梗塞の夫と暮らす、50歳のワーキングマザーです。
※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。
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わが家の18歳の次女が、突然学校に行けなくなったのは今から3年前、高校1年生の夏休み明けのことでした。夏休み明けの1日目。「頭が痛い」といって布団から出で来ない次女を、私は病院に連れて行こうとしました。でも「寝ていれば治るから」と行きたがりません。頭からすっぽり布団をかぶっている次女の額に手を当ててみても、熱はない様子。この時は、風邪のひきはじめだろうから、栄養のあるものを食べて安静にしていれば2、3日で元気になるだろうと軽く考えていました。ところが、3日が過ぎ4日目になっても次女の様子は一向に変わらず、朝、布団から出てこないのです。
4日目の朝、相変わらず頭から布団をかぶって寝ている次女に、「心配だから、一度病院で見てもらおう」と、私は少し強めに言いました。すると次女は「うるさい、行かない、ほっといて!」と苛立ったように大声を上げました。次女は、負けず嫌いなはっきりとした性格ですが、今まで母親の私に対して、こんなふうに感情をむき出しにして声を荒げたことはありませんでした。驚きながらも、私がさらに「病院に行こう」と言い募ると、次女は布団をかぶったまま、感情を爆発させて泣き出しました。情緒不安定な娘の様子を目の当たりにした私は、このとき初めて、次女が精神的にダメージを受けていることに気が付きました。
私は、高校の担任の先生に連絡をとり、相談に乗ってもらうことにしました。先生の方でも、クラスで仲が良かった友達に話を聞いたり、部活で一緒の生徒さんに話を聞いたりと、いろいろ調べてくださったのですが、はっきりとした原因は分かりませんでした。友達とトラブルがあったのか、それとも他に何か原因があるのか。次女自身が一切語らないため、それ以上原因を探ることはできずに、時間だけが飛ぶように過ぎていきました。
このまま出席日数が足りなくなれば、留年になってしまいます。担任の先生のお話では、次女のようなケースで留年をしても、再び学校に通えるケースは少ないとのこと。残る選択肢は、退学か転校の2つですが、不登校の原因が分からないため、転校しても学校に通えるようになるかは難しいところでした。そこで転校先の候補にあがったのが通信制の高校です。担任の先生から、転校可能な通信制の高校のパンフレットをいただき、自分でもインターネットでいろいろと調べて資料を取り寄せ、「通信制の高校もあるよ」と言って、次女に渡しました。
最終的に次女が選んだのは、インターネットを利用したシステムを採用している私立の通信制の高校です。ふだんは自宅でレポート学習をし、学校に行くのはテストを受けるときと体育の授業のときだけですむため、だいぶ通学のハードルが低くなるのではと期待がふくらみました。そして、その年の10月末日をもって、次女は通信制の高校へ転校し、現在に至ります。
3年が経過し、次女はだいぶ明るくなってきましたが、いまだに外出することはほとんどありません。不登校になった原因も話してはくれません。でも私は、「原因を追究することよりももっと大切なことがあるのでは」と考えるようになりました。
それは、頑張って働き、おいしいご飯を作って、次女が毎日を少しでも楽しく過ごせるように環境を整えてあげることだというシンプルなこと。
母親として私ができることをして、いつか心が本当に癒えた時に、真実を話してくれたらうれしいと思っています。
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