「ほぼ間違いなくガンです」
がん・・・・
がん・・・・
がーーーーん!!!
今となってはそんな冗談のひとつも言ってみたかったですが、当時はそれどころではなく、泣き崩れてしまいました。
昨年の3月のことです。
時々チェックするよう言われてたことをふと思い出し、仰向けで胸を触ってみるとはっきりと分かるしこりが。
今までしこりらしきものを数回みつけて病院にかかっていましたが、問題はないといわれてきました。でも今まで見つけたものとはあきらかに違うごろっとした感触。一気に不安が押し寄せました。これは乳がんでは......。
すぐに以前しこりを診てもらっていた病院に電話をしましたが予約の日まで気が気ではありませんでした。
最初の触診ですでに医師の険しい表情、更に不安が募ります。その後マンモグラフィ、エコー検査に加え、太い注射針をさして中の組織を取る検査をしました。その時点で「がんの可能性は高い」と言われました。
検査の結果が出るまで一週間といわれ、眠れない日々が続きましたが、数日で病院から「結果が出た」という連絡がありました。
結果を早く知らせる電話までかかってくるのだから、これはそういうことなのだろうな...。覚悟をして聞きにいったつもりでした。
しかし、実際にがんの宣告を受けたら、今までの不安が一気に崩壊するように涙が止まらなくなりました。
前年に離婚したばかりの私は、発達障害を持つ小学生の子供を二人抱えています。
子供たちはどうなるの?
生活はどうすればいいの?
私は死んでしまうの?
治療をするにしても仕事はどうしたら・・・。
考えなければならないことが多すぎて、恐怖と不安で大混乱に陥りました。
前回しこりを見つけてから4年が経っていました。
しかしその時は経過観察で再検査後、がんではないという結果がでていたので安心してしまいました。
日々育児に追われ、まだ2年ほどしか経っていない感覚でいたのに、そんなに間があいてしまっていたとは。
医師からは「前回のしこりとは位置が違うので別の物だと考えられるけども、もし毎年受けていたらもっと早く発見できたのに」と言われました。
ということは、結構進んでいるということなのか...。
「正確なステージは精密な検査をうけてからでないとわからない」と言われましたが、その時点で2センチと1センチのふたつのしこりが見つかっていました。
「治療はこの病院でも受けることはできるけども、専門医がいないので希望する病院があればどこでも紹介する」と言われ、大学病院を紹介してもらいました。
病院を後にし駐車場の車の中で声を出して泣きました。
小さな子供のようにわんわん泣きました。
そして、その場で元夫に電話をいれました。離婚後も交流はあり仲は悪くありませんでした。泣いて泣いて不安な気持ちをすべてぶちまけて聞いてもらいました。家に帰ると子供たちがいます。不安な顔は絶対に見せられません。今ここで全て吐き出してしまわないと家で泣き崩れるわけにはいかない。元夫は今後のことは話し合ってできるだけ支えると言ってくれました。
その後、大学病院での精密な検査の結果、乳がんの中でも少ない小葉ガン、ステージⅡB、2センチと1センチのしこりに加え、脇のリンパ節に1センチの転移が見つかりました。
あれから一年半、今の私は再発を防ぐ薬を飲み続けて副作用も残ってはいますが、無事社会復帰も果たすことができました。
混乱の中から前向きに生きて治療に向かおうと思うまで、子供たちへの病気の告知、とても辛かった抗がん剤治療や手術、現在に至るまでを順を追ってお話していこうと思います。
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医療監修:すわやまクリニック 田島厳吾 院長
アラフィフの乳がんサバイバーです。発達障害児をふたり育てるシングルマザー。アスペルガー症候群・ADHDの娘は12歳、自閉症スペクトラムの息子は10歳。心臓病の私の父親(76歳)も同居。パート勤務、ブログなど文章を書いて暮らしています。
ブログ:うちの子流〜発達障害と生きる
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