冒頭から私事で恐れ入りますが、80歳を迎えた高校時代の恩師に久しぶりに会いに行ったら、何かの流れで、彼女がこんな話をしてくれました。
「歳をとって夜ひとりで過ごしていると、若い頃やこれまで誰かと交わした大事な会話が反芻されるの。多くは既にこの世を去っている人で、その人とゆっくり当時の会話をおさらいしていくと、ああ、あの時、あの人はこういうことが言いたかったんだと気づく。だから、ひとりでいても、ひとりって感じがしないのよ。こうやって緩やかにあっちの世界(死)に近づいていくんだと思う」
この話を聞いて、なんだか私はジーンとしたのですが、まさにこの話と呼応するような映画が、いま公開されています。諏訪敦彦監督がフランスで撮影した『ライオンは今夜死ぬ』。
1960年代、『大人は判ってくれない』や『男性・女性』など、トリュフォーやゴダールの映画の数々に出演してきた俳優ジャン・ピエール・レオーが主演しています 。
現在73歳のジャン・ピエール・レオー。その表情に刻まれた皺や、今の彼の自由な表情を見ているだけで、ちょっと胸がいっぱいになります。ヌーヴェルヴァーグのフランス映画に夢中になった人にとっては、ちょっと胸が熱くなるキャスティングなのではないでしょうか。
ヌーヴェルヴァーグを代表する俳優であり、今も世界の名匠からリスペクトされる
ジャン・ピエール・レオー。その一挙一動から目が離せません。
彼が演じるのは、ジャンという名の俳優。冒頭は、映画を撮影している場面。老齢の役柄が死に際して言う台詞に、彼は戸惑います。台詞を口にしても、どうもしっくり来ない。どんな気持ちで、この台詞が出てくるのか、わからないのです。
その境地を探るジャンの心の旅ともいうべき日常が、日々の何気ない息吹を漂わせながら、全編にわたって描かれていきます。まるで、この世とやがて触れ合うあの世との境目を緩やかに行き交うように。
即興をいかした諏訪監督の演出には、物語的な嘘がありません。ストーリーに縛られることなく、カメラは風の向いた方へ歩みを進める気ままなジャンの旅を追いかけます。そこは陽射しの降り注ぐ南仏コート・ダジュール。あまりに心地よくて、私たちは知らぬまに彼の旅へといざなわれます。
そこで彼は、きらきらと生命力にあふれた、たくさんの子どもたちと戯れ合います。そして、最愛の恋人、若くして亡くなったジュリエットが、たびたび目の前に現れ、数十年ぶりに言葉を交わします。子どもたちと触れ合うことで、彼の中に生きる歓びがいきいきと思い出され、同時にジュリエットのいるあちらの世界との境目がなくなっていくのです。
ああ、十分に歳をとって、こんな穏やかな気持ちで最期を迎えられたら、どんなにいいだろう。そんな風に死を描いたこの作品は、生と死を分けることなく、まるごと抱きしめたような人生賛歌のようです。
ジャンは子どもたちと一緒に映画を撮ることになります。完成した映画が上映される場面がありますが、実際に出演している子どもたちが作った作品なのだそう。
エンドロールでは、このタイトルならではのおなじみの楽曲が流れるのですが、その曲が流れる頃には、ジャンが経験した溢れる陽射しや、子どもたちの無邪気な声や他愛ない日常のあれこれが集まって押し寄せ、胸がいっぱいになります。
そこに描かれているのは、どれも何でもない日常の断片。けれど、まさに私たちが人生を振り返った時、胸に去来するのは、こんな思いなのだろうと思うのです。103分の中に「人生の歓び」が閉じ込められている。
即興をいかした撮影の中、ジャンや子どもたちの予測不能な演技は観ているこちらをワクワクさせます。エンドロールで込み上げてくる幸福感が、いつまでも観た人の胸の中に留まって反芻されるよう。
このコラムのタイトル「70歳から80歳が人生でいちばん楽しい時期」というのは、劇中のジャンの台詞。子どもたちと車座に座ったジャンが、優しい表情でこの台詞を言う場面も素敵です。ぜひスクリーンで楽しんでください。
子どもたちと接するジャン。時にはユーモアたっぷりの行動に出ます。
文/多賀谷浩子
YEBISU GARDEN CINEMA、テアトル梅田にて公開中。その後、全国順次公開
監督:諏訪敦彦
出演:ジャン・ピエール・レオー、ポーリーヌ・エチエンヌほか
配給:ビターズ・エンド 2017年 フランス・日本 103分
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