「病気の名前は、肺がんです」。医師からの突然の告知。しかも一番深刻なステージ4で、抗がん剤治療をしても1年生存率は約30%だった...。2016年9月、50歳でがんの告知を受けた刀根 健さん。残酷な現実を突きつけられても「絶対に生き残る」と決意し、あらゆる治療法を試して必死で生きようとする姿に...感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)より抜粋。過去の掲載で大きな反響があった連載の続編を、今回特別に再掲載します。
※本記事は刀根 健著の書籍『僕は、死なない。』から一部抜粋・編集しました。
※この記事はセンシティブな内容を含みます。ご了承の上、お読みください。
出会い
2018年が終わっていく...。
1年前の2017年は劇的だった。
体調の悪化、緊急入院、サレンダー体験...そして生還、さらに会社の退職勧告...。
そして1年が経ち、会社を退職してもなんとかやっている僕がいた。
苦労して書いた本の出版はダメになったけれど、出版はまた違う道が見えてきていた。
なによりも、僕は『時空の杜』で"僕"を手放す、という体験をしていた。
あれ以来、僕はすがすがしく毎日を過ごしていた。
自分を越えた"何か"が回り出したように感じていた。
年末、僕はオラクルカードを引いてみた。
オラクルカードとはトランプくらいの大きさで、きれいな絵とそれを象徴する言葉が書いてあるメッセージカードのこと。
その中から無作為に1枚を選ぶと、そのときに自分に必要なメッセージが現れる、というものだ。
いろんな種類のカードがたくさんあり、書店でもよく目にするようになっていた。
半年ほど前になかなか良さそうなカードを購入し、時々引いて、現在の状況の意味づけや、これからの心の持ち方などの参考にしていた。
本棚からカードを取り出し、良く切ってから、一枚、抜き出した。
そのカードは、帆を張った船に乗り、宇宙の川の流れに身を任せている女性が描いてあった。
そして、絵の上に"Being In The Flow(流れのなかにいる)"と書いてあった。
説明書を取り出し、詳しい意味を読んでみる。
そこには...。
私は、宇宙の流れの中にいます。
あなたは人生という川の流れに逆らっていないので、全てはあるべき場所に収まっています。
岸辺から手を放し、水の流れに身を任せましょう。
何もかも、自分で計画したり決定したりする必要はありません。
物事の自然の流れに任せていてよいのです。
おお、そうなのか、これでいいんだ。
このままで、いいんだ...。
たかがカード、されどカード。
よし、来年はただただ目の前にやってくる"流れ"に抵抗しないで、身を任せてみよう、そういう実験的な1年にしてみよう、そう思った。
年が明け、2019年がやってきた。
毎年恒例の初詣に出かけた。
そこに長男の姿はなかった。
長男は長野県のホテルに就職していて、今は繁忙期で帰ってくることが出来なかった。
僕と妻、次男の三人はいつもお参りしている神社に行くと、長男の分も手を合わせた。
翌日、両親のところへ帰省した。
両親とも声をそろえて、同じ事を言った。
「もうすっかり、病気になる前と同じに戻ったね。違いは少し痩せているくらいだよ。声もちゃんと出るようになって、本当に良かった」
自分のことのように喜んでくれた。
そう、僕の声も少しかすれてはいたけれど、声量はがんになる前と同じくらいに戻っていた。
僕はいつの間にか、さおりちゃんとの目標の2番目をクリアしていた。
1月17日、僕は昨年連絡をいただいた小西さんからの紹介していただいた出版社の方に会うために、駅近にあるスターバックスにいた。
編集者、というとなんだかラフでおしゃれな業界人、みたいなイメージがあったけれど、濃紺のスーツにネクタイというキチッとした格好で現れたその人は、どちらかというと真面目で穏やかな常識人、みたいに感じた。
「こんにちは、初めまして、刀根と申します」
「こちらこそ、今日はお時間を取っていただいて、ありがとうございます。吉尾と申します」
丁寧だけれど落ち着きがある雰囲気は、相当な修羅場をくぐってきている感じがした。
「さっそくですが、刀根さんの原稿を読ませていただきまして...」
僕は昨年、吉尾さんに没になった原稿を送っていた。
「面白いというと語弊はあるかもしれませんが、はい、とても興味深く読ませていただきました」
「ありがとうございます。まあ、あの原稿は僕的にはイマイチなのですが...」
「そうなんですか?」
「ええ、ちょっと編集者の意向が強く入っていまして、あまり満足は出来ていないんですよ」
「では、そのあたりも含めまして、お話を伺わせていただくことは出来ますでしょうか? お話しできる範囲でかまいませんので」
吉尾さんは一言ひとこと、丁寧に言葉を選びながら言った。
僕の直感は、『この人は信頼できる』、とささやいていた。
「ええ、僕は隠すことなど何もないので、全部お話ししますね」
僕は肺がんが見つかった経緯から、がんが消えてしまったことまで、また詳しく話をした。
「いただいた原稿でも読ませていただきましたが、ご本人から直接お話しを伺うと、また本当に迫力が違いますね」
僕は前の出版社とは何も契約を結んでいないこと、何の謝礼ももらっていないことも伝えた。
「では、刀根さんのお話を出版することに対して何も制約はなさそうですね」
「ええ、そうですね」
それを確認したあと、吉尾さんは自分のことを語り始めた。
「私はこれまで、編集者として幸いにもベストセラーをいくつか出すことができました。いえ、これは自慢とかそういうことじゃなくて、どういう著者さんで、どういう本を書いていただければ、この程度売れるだろう、というような方程式みたいなものがあって、この業界が長いと、そういうことが分かってくるんですよ」
「そうなんですか、それはすごいですね」
「いえいえ、そんなんじゃありません。で、最近、本当に最近なのですが、私はこれでいいんだろうか、そういう疑問みたいなものが浮かんできたんです」
「...と、言いますと?」
「はい、この出版という世界に身を置いて、たくさんの本を世の中に出してきたけれど、ほんとにそれで良かったの?みたいな感じですね」
「それで良かったの?と言いますと?」
「はい、自分が"これ"という仕事をしていないような気がしていたんです。"これ"が私の出した本です、"これ"が私の仕事です、みたいに自分に対して胸を張れるような仕事をしていないような気がしていたんです」
「"これ"ですか...」
「はい、確かに"売れる"本はいくつも担当してきました。そして"実績"も作りました。しかし私は、私がほんとうに"売りたい"本を作ってきただろうか?そんな疑問をいつも感じてしまっているんです」
「"売れる本"ではなくて"売りたい本"ですか」
「はい。売れなくてもいい、あ、すいません、もちろん、売れるに越したことはありません。しかし、そういう数字とか実績とかそういうことではなく、私が心底"この本は、この著者さんは世に出したい"そう感じる仕事をして来ただろうか、いや、まだ十分できていないのではないか、そう感じていたのです」
「そうなんですか...なんか分かる気がします」
「で...、刀根さん」
「はい」
「いまお話をお伺いして思いました。私にとって、刀根さんが、そして刀根さんのがんからの生還のストーリーこそ、私の求めていたものだ、と言うことを。刀根さん、私と一緒に本を作って頂けますでしょうか?」
それは熱い、本当に熱い魂からの呼びかけのように、僕には感じた。
僕の魂も熱く振動して、それに応えていた。
「ありがとうございます。僕も本当に嬉しいです。信頼できる人と一緒に仕事をすること、同じ方向を向いて一緒に進むこと、こんなに幸せなことはありません。ぜひともよろしくお願い致します」
僕たちは、がっちりと握手をした。
「それではさっそく編集部の会議にかけます。会社ではいくつかの会議がありまして、そこで承認を得ないと、書籍として出版することは出来ません。ですから、まずは会議にかけさせていただきます」
「はい、分かりました」
「会議を通りましたら、その都度ご連絡を入れさせていただきます」
「ありがとうございます。それでは、僕はもう書き始めますね」
「でも、いちおう元原稿があるので、そんなにお急ぎにならなくても...」
「いえ、実は僕、あの原稿は一切使うつもりはないんです。全く新しく、全て書き直します。その方がスッキリしますし、いいものが書けると思います」
「そういうことでしたら...分かりました。私はこれから会社に帰って、会議が通るように企画書を書くことにします。必ず企画を通します」
吉尾さんはそう言うと、力強くうなずいた。
「はい、今後ともよろしくお願い致します」
僕たちは別れ際に、またがっちりと握手をした。
家に帰ってから、ふと気づいてポケットの中を探った。
そこには吉尾さんの名刺が入っていた。
吉尾さんの会社はSBクリエイティブ、所属は学芸書籍編集部。
そして役職はなんと、編集長だった。
吉尾さん、編集長だったんだ...。
なるほど、道理でなんか普通と違ったわけだ...。
僕は"流れに乗っている"ということが、どういうことなのか分かった気がした。