「今度はちゃんと死になさい」がんから生還した僕に会社が提示した「奴隷条件」/続・僕は、死なない。

「病気の名前は、肺がんです」。医師からの突然の告知。しかも一番深刻なステージ4で、抗がん剤治療をしても1年生存率は約30%だった...。2016年9月、50歳でがんの告知を受けた刀根 健さん。残酷な現実を突きつけられても「絶対に生き残る」と決意し、あらゆる治療法を試して必死で生きようとする姿に...感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)より抜粋。過去の掲載で大きな反響があった連載の続編を、今回特別に再掲載します。

※本記事は刀根 健著の書籍『僕は、死なない。』から一部抜粋・編集しました。
※この記事はセンシティブな内容を含みます。ご了承の上、お読みください。

【前回】「がん」からの回復は順調だが...「会社員」という立場にしがみつく僕。

「今度はちゃんと死になさい」がんから生還した僕に会社が提示した「奴隷条件」/続・僕は、死なない。 d7f3814eccd29641c6dd290d577f99af7823a035.jpg

会社からの3つの提案

12月15日、今後のことを話すために、約ひと月ぶりに会社に行った。

会議室に入ると社長は言った。

「今日は来てくれてありがとう。前回の刀根さんの話を聞いて、会社としてもいろいろ考えてみました。とりあえず、休職期間は傷病手当の期限の切れる3月末まで、延長することにしました」

「ありがとうございます」

退職までの期間が増えたことは、僕の追い詰められた気持ちを少し和らげてくれた。

しかし、基本的なことは何も解決していない。

猶予期間が増えただけだった。

「そのあと4月からの働き方だけど...、正直言って、会社としては今までと同じ条件で刀根さんを雇用するというのはリスクなんです」

「はい、そうですよね」

「まず、いつ体調が悪くなるか分からない、というリスクがあります。刀根さんに研修をお願いするときは、必ずリザーブとして誰か空けとかなきゃならなくなる。今会社にはそんな余裕はありません。それから、刀根さんにお願いする研修自体が減っています。刀根さんがお休みしている間に、刀根さんが担当していた会社の研修はほとんど打ち切られてしまって、なくなってしまったんです」

そうなんだ...。

でも、それは僕のせいじゃなくって、相手の会社の都合や、僕の代わりに行った講師の腕前が悪かったってことじゃないのか?

あるいはもっと大きな視点で考えると、それは会社側の都合であって、雇用されている僕の問題じゃないだろう?

それは僕を切る理由にはならないはずだ、常識的には。

僕は頭に浮かんだネガティブな言葉を飲み込んだ。

今、そんなことを言うと面倒くさくなるだけだ。

「はっきり言うと今、刀根さんの仕事はない、ということです」

「そうなんですか...」

仕事がない、だから切る...。

しかし、はっきり言うなぁ...

まあ、それが社長の仕事だから...。

「ですから4月以降について、3つの働き方を提示したいと思います」

そこで提案された働き方は3つだった。

1つ目は講師ではなく「事務職」。

その代わりお給料半分。

給料半分か...。

それじゃ、生活は成り立たない。

今だってゆとりがあるわけじゃないし、妻のパートでなんとかやりくりしているのに、給料が半分になったら確実に生活は破綻する。

2つ目は「定額契約の講師」。

僕に依頼する予定の1年分の研修金額を12等分に割って、毎月支払うもの。

僕は聞いた。

「あの、2番目の定額支給と言うのは、どのくらいの金額になるのですか?おおよそでも、それが分からないと僕も判断できないのですが」

「今は全く分かりません。刀根さんも知っての通り、来年の2月中旬くらいにならないとその年の仕事のボリュームが読めないので。これは外部講師の仕事も同じです。どのくらい仕事が来るかは、2月中旬くらいにならないと分からないの、知ってるでしょ」

確かに、その通りだった。

ただし、会社としていくら発注するとかの約束じゃなくて、あくまでも仕事全体のボリュームからはじき出すんだな...。

3つ目は「完全フリー」。

つまり、完全なる退職ってやつだ。

ただし完全フリーになっても、僕を必要としてくれている顧客の仕事は回してくれるらしい。

僕はふと、佐々岡さんのことを思い出した。

「先日、前の会社の上司が会社を立ち上げたので、WEBで記事を書いたりする仕事を手伝ってもらえたら嬉しいって言われたのですが、そういうことをしてもいいですか?今とてもお金が苦しいので、少しでも足しにしたいと思っているのですが」

社長の顔色が変わった。

「それはおかしいんじゃないの?仕事の依頼だったら会社を通して頼むのが筋でしょ。なんで直接刀根さんに頼むの?それはダメです。やらないでください」

僕は社長の意外な立腹に慌てながらも、言った。

「じゃあ無償だったらいいですか?お金もらわなければいいんでしょう?」

「何で無償でもやるの?」

社長はさらにいきり立った。

「それは友人だからに決まってるでしょう。成功して欲しいからですよ」

「それもダメです。無償でもやらないでください。刀根さんの名前が外部に出ることは、いっさいしないでください」

「それじゃ、何もするなってことですか?この前、友人からインタビューを受けたんですけど、それもダメなんですか?」

約1か月前に友人が個人のブログに僕の生還体験を記事にしたいから、ということで、インタビューを受けていた。

「なんでそういうことを勝手にするんですか?」

「別に謝礼をもらったわけじゃないですし、彼女の個人的なブログのインタビューだったんで、いいと判断したんです」

「これから、そういうことは、会社に全部確認とってからにしてください。そう、さっきの話だけど、3番目の完全フリーの外部委託講師以外は、こういう制約をかけます」

「こういう制約って言うと?」

「刀根さんが受ける仕事は、全て会社の確認と承諾を得てから受けてください、ということです」

「じゃあ、それでもし会社からダメだって判断されたら、僕はその仕事ができないってことですか?」

「そうです」

そんな、無茶苦茶な...。

それじゃ僕は会社の完全な奴隷状態じゃないか。

僕は頭の中の言葉を飲み込んで言った。

「分かりました。今すぐ結論を出せる問題じゃないので、考えさせてください」

僕は会社を後にした。

今までと違って、幸いなことに僕はかなり冷静だった。

帰りの電車の中でよく考えてみた。

まず事務職の仕事。

僕は事務の仕事が苦手だった。

頼まれてもほっぽってしまい、やっていないことも多かった。

僕の仕事は講師だと自負していたし、よい研修をすることで次の仕事を取ってくる、それが僕の役割だと思っていた。

でも、それはあくまでも僕の言い分。

そういう意味では、僕はあてにならないダメ社員だったのかもしれない。

いや、さっきの社長の感じでは、きっとそうだ。

さて、事務職で給料半分。

僕は、事務仕事を延々と続けることに耐えられるんだろうか?

いやいや、そもそも給料半分じゃ、生活できないし、無理だよ、無理。

この線は消えた。

次は定額支給で、足りない分を自分で稼ぐというもの。

だが社長は、その定額がいくらになるのか分からないと言っていた。

もし社長の言う通りに2月中旬まで待ったあげく提示された金額で、やっぱりこの金額じゃ全然足りませんでしたってなったとき、どうする?

この流れから行ったら、その可能性が大きい。

さらに僕の活動に制約をかけると言う。

これはダメ、あれもダメ、そう制約ばかりかけられたら、おそらく個人で仕事なんて出来ないだろう。

最後は無残な落城が待っている。

そもそも、僕は会社の奴隷じゃない、ひとりの人間なんだ。

だからこれも却下。

最後の選択は、完全に会社を退職してフリーの外部講師の道。

社長は2月中旬にならないと依頼する件数は読めないと言っていたけれど、こうなったら、それを当てにしていたらダメだろう。

ゼロだと考えたほうがいい。

そもそも研修の仕事がたくさんあったら、社長も僕とお互いに不愉快になるような、こんな嫌なやり取りをする必要なんてないだろう。

社長が言っている以上に仕事が減っているのかもしれない。

最悪、仕事の依頼は全くないと考えた方がいいだろう。

僕は自分の胸に静かに手を当て、感じてみた。

最後は"考え"じゃなくて、"感じ"で選ぼう。

3番目の選択「完全フリー」。

そう、これが一番不安だけど、一番すっきり感じた。

これだ、これで行こう。

一番リスクのある道だけれど、一番自由度が高い道。

自分が一番自由に、生きていける道。

弱い僕は、何かの保証やバックアップを求めてしまう。

会社からの一定量の仕事とか、後ろ盾とか、そういうもの。

それは将来に対する不安、自信のなさから来ているものだった。

でも目の前に来ている流れは、そういう弱い僕を明け渡して、流れに身を任せなさい、と誘っていた。

信頼しなさい

任せなさい

その流れは、そうささやいているようだった。

でも...僕はまだスッキリと納得することが出来なかった。

まだ心の中で文句を言ってる『僕』がいた。

その『僕』は口を尖らせて言い続けていた。

会社の都合は分かる。

社長の言うことも分かる。

でも、死にそうな病気から復帰したばかりの社員を、こんなに簡単に切るか?

しかも失業保険なし、退職金なしの状態で、ほっぽり出すか?

もう一回、今度はちゃんと死になさい、きちっと最後まで死になさいって言ってるのと同じだろ。

おかしいよ。

普通じゃないよ。

この『僕』が納得しない限り、残念ながら「サレンダー」「明け渡し」は、やってきそうも

なかった。

 

刀根 健(とね・たけし)

1966年、千葉県出身。東京電機大学理工学部卒業後、大手商社を経て、教育系企業に。2016年9月1日に肺がん(ステージ4)が発覚。翌年6月に新たに脳転移が見つかるなど絶望的な状況の中で、ある神秘的な体験し、1カ月の入院を経て奇跡的に回復。ほかの著書に、人生に迷うすべての現代人におくる人生寓話『さとりをひらいた犬 ほんとうの自分に出会う物語』がある。オンラインサロン「みんな、死なない。」および刀根健公式ブログ「Being Sea」を展開中。

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