「雑草みたいな花ね」幼いころの「母の日」の悲しい記憶。40年たった今も私を悩ませる理由<前編>

「昔から気分屋で怖かった母。私は毎年母の日にプレゼントを贈り続けてきました。しかし、何を贈っても否定的な言葉が返ってくるのです。そのたびに傷ついてしまい、幼いころの母の日の悲しい思い出が蘇ってしまいます」

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■「母の日」のエピソードの原点になったのは

今年83歳になる母。

私が子どものころから気分屋のところがあり、イライラしているときには、私や2つ年上の兄に手をあげるような怖い母でした。

でも機嫌が良いときは陽気で、親子で笑い転げた記憶もあるので、いつもいつも怖い母、というわけでもなかったのですが。

幼い私はお小遣いをもらえるようになると、母の日にプレゼントをあげるようになりました。

カーネーション1本から始まり、贈らない年はありませんでした。

母のことは怖かったり嫌いだったり好きだったり、複雑な思いもありながらも、あげるのをやめようと思ったことはなかったです。

小学校3年生の母の日のことです。

友だちと2人で、新しくできたお花屋さんで花を買って、それぞれお母さんに贈ろうと計画を立てました。

私は、お花を選びに選んで、可憐な感じが気に入って、なでしこにしました。

帰宅が少し遅れたせいか、母は怒っていたので、おずおずとなでしこを差し出しました。

「母の日ありがとう」

「なに? この雑草みたいな花」

母はなでしこを見て顔をしかめながらそう言い捨てたのです。

今でも思い出す、悲しい母の日の記憶です。

「普通にカーネーションにすればよかった」

そう後悔しても、あのときの母の顔は頭に刻み込まれてしまいました。

さて、かなり昔の話から始まりましたが、「母の日」をめぐるエピソードの原点は、このときのなでしこだった気がするのです。

大人になり、結婚出産を経て母親になった私は、母の苦労に、以前より感謝の気持ちを感じるようになりました。

そこで、子どもが小さくて買い物に行けない間は、せめてものつもりで、コンビニのカタログから選んだフラワーアレンジメントを贈り続けました。

毎年、お礼の電話がきて「ありがとう」と言われてはきました。

あるとき「母の日に贈ってる花、ちゃんと咲いてた?」と聞きました。

母は言いにくそうではありましたがこんな風に言いました。

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