「昔から気分屋で怖かった母。私は毎年母の日にプレゼントを贈り続けてきました。しかし、何を贈っても否定的な言葉が返ってくるのです。そのたびに傷ついてしまい、幼いころの母の日の悲しい思い出が蘇ってしまいます」

■「母の日」のエピソードの原点になったのは
今年83歳になる母。
私が子どものころから気分屋のところがあり、イライラしているときには、私や2つ年上の兄に手をあげるような怖い母でした。
でも機嫌が良いときは陽気で、親子で笑い転げた記憶もあるので、いつもいつも怖い母、というわけでもなかったのですが。
幼い私はお小遣いをもらえるようになると、母の日にプレゼントをあげるようになりました。
カーネーション1本から始まり、贈らない年はありませんでした。
母のことは怖かったり嫌いだったり好きだったり、複雑な思いもありながらも、あげるのをやめようと思ったことはなかったです。
小学校3年生の母の日のことです。
友だちと2人で、新しくできたお花屋さんで花を買って、それぞれお母さんに贈ろうと計画を立てました。
私は、お花を選びに選んで、可憐な感じが気に入って、なでしこにしました。
帰宅が少し遅れたせいか、母は怒っていたので、おずおずとなでしこを差し出しました。
「母の日ありがとう」
「なに? この雑草みたいな花」
母はなでしこを見て顔をしかめながらそう言い捨てたのです。
今でも思い出す、悲しい母の日の記憶です。
「普通にカーネーションにすればよかった」
そう後悔しても、あのときの母の顔は頭に刻み込まれてしまいました。
さて、かなり昔の話から始まりましたが、「母の日」をめぐるエピソードの原点は、このときのなでしこだった気がするのです。
大人になり、結婚出産を経て母親になった私は、母の苦労に、以前より感謝の気持ちを感じるようになりました。
そこで、子どもが小さくて買い物に行けない間は、せめてものつもりで、コンビニのカタログから選んだフラワーアレンジメントを贈り続けました。
毎年、お礼の電話がきて「ありがとう」と言われてはきました。
あるとき「母の日に贈ってる花、ちゃんと咲いてた?」と聞きました。
母は言いにくそうではありましたがこんな風に言いました。
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