名家に嫁ぎ「どこの出身か存じませんが」と義母に言われ...劣等感のかたまりだった私が妊娠したら<後編>

「貧乏な家庭から名家に嫁いだ私は、憧れの暮らしを手に入れても、劣等感に苛まれていました。第一子を出産後、夫の実家で過ごすことになったのですが、義父母はまったく手を貸してくれません。私は認められていないの...?」

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■私のひとことで意外な展開に

結婚後少しして私は妊娠したのですが、初孫が授かったことに狂喜乱舞した義父母によって、出産後に「主人の実家でしばらく過ごす」ことがいつの間にか決められていたのです。

反論の余地も無く、何とも憂鬱な気持ちで妊娠中を過ごすことになった私。

その間も義父母の家にはおしゃれな赤ちゃんグッズが着々と用意されていました。

難産の末に無事長男を出産。そして退院の朝を迎え、フリフリのサテンの産着を着せられ、高価なクーハンに入った息子とともに、私はいよいよ豪華な赤ちゃん用品の待つ義実家へ向かいました。

お産の疲れと、初めての育児への不安と緊張で、私はもうヘトヘト。

授乳もおむつ替えも悪戦苦闘するばかりなのに、義父母は「かわいいねえ、かわいいねえ」と眺めるばかりでちっとも手を貸してくれません。

「やっぱり私みたいな嫁の産んだ子の世話はしてくれないのかな...」と悲しい気分になるばかりでした。

ある時、大泣きする息子を抱いて、いよいよ途方に暮れた私は、ついに義母に「お母さん、すみませんけどちょっと抱っこしててもらえませんか」と助けを求めました。

すると...意外な展開が待っていました。

いつもおっとり上品な義母が一変して大慌て。

「あら、あら、抱っこしていいの? ほんとに抱っこさせてくれるの?」そう言って震える手で息子を受け取ってくれたのです。

義母は顔を真っ赤にして...目には涙が浮かんでいました。

「姑は嫌がられるっていうからねえ、抱っこさせてくれるかしらねえ?ってお父さんと心配してたのよ。かわいいねえ、抱かせてくれてありがとうね」と感激する義母。

その胸に抱かれたわが子を見て、私の緊張と疲れでクタクタだった心も、なんだかふっくらと幸せに満たされるようでした。 

それまでの義父母は「大事な一人っ子を嫁にもらうのに、男ばかりのむさくるしい家が嫌じゃないだろうか。

それに舅、姑は鬱陶しがられるから気をつけなきゃ」と必死だった、としばらくして知ることができました。

さらに、自分たちも「娘」が欲しかった義父母は、なんと、私に服などを買ってあげたかったと思っていたんだそうです。

そんな義両親の気持ちに気づけなかったのは、私の「ひがみ根性」があったからだな...と思うと、本当に自分が恥ずかしくなりました。

それから10年後。義母はがんで天国に逝ってしまいました。

生前は、孫をおぶったジイジをバアバがからかって大笑いしたり、相も変わらず高級ブランドの子ども服をプレゼントしてくれたり。

今でも、初めて孫を抱いた時の、義母の涙は忘れられません。

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