最期に会えてよかった...優しさが連鎖した「大叔母の葬儀」。ご遺族の配慮に涙が止まらない

「最近は家族葬という身内だけでのご葬儀が増えましたよね。そんな中、家族葬なのに遠縁の私を呼んでくれた、ご遺族に心から感謝したお話です」

アラフォー、アラフィフ世代の女性を中心に、実体験エピソードを寄せてもらいました。年齢を重ねると健康や人間関係、お金などさまざまな問題が発生しますが...。あなたならこんな時、どうしますか?

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■大叔母が逝去。家族葬で弔うと聞いたけれど...

母方の祖母の妹(大叔母)が2024年の1月、老衰で眠るように穏やかに亡くなりました。

幼稚園の頃から数えて40年近く、私は大叔母によく可愛がってもらいました。

大叔母の家は新幹線でないと行けない遠方でしたが、大叔母が仕事や法事などで我が家に来るたび、いつも食事や遊びに連れていってもらったり、誕生日やXmasには毎年プレゼント送ってくれたりました。

私が大人になって結婚してからは、夫と息子(小学6年生)と一緒に、年に数回は大叔母の自宅を訪れていました。

私が息子を授かったときの産着も、和裁の先生だった大叔母が縫ってくれたものです。

その大叔母が亡くなったと聞いて、心の底から悲しかったです。

息子さん(64歳)から、「家族葬で静かに送りたい」と聞いた私は、「分かりました。もし差し支えなければ、落ち着いた頃にお線香をあげに伺わせていただければ有難いです」と伝えました。

すると、息子さんが言ってくれたのです。

「いえ、葬儀に出てくれませんか? 亡くなる10日前の母の日記に『○○(私)ちゃん』、『あいたい』と弱々しい文字で何度も書いてあったんです。本当に可愛がっていたのだなと思いました。お通夜前に母とゆっくりお話されませんか?」

■大叔母との最後の別れ。見送れて良かった...

私は悩みましたが、やはり大叔母と会ってお別れしたくて新幹線で向かいました。

大叔母が安置されている部屋に案内されると、大叔母は「よう来たなあ○○ちゃん(私)。ちょっとしんどいから寝てるねん」と、いまにも言いそうなほど綺麗な顔で眠っていました。

「起きて...△△おばちゃん」

私は涙が止まりませんでした。

その後、納棺師さんがいらしたのですが、私が遠方から来たと知ると、こう仰りました。

「叔母さまも喜ばはるから、どうぞ遠慮のう(遠慮なくの方言)お化粧してあげはってください」

その言葉に甘えて、私も手伝わせてもらいました。

ご遺族は大叔母の生前から、家族葬をした後に亡くなったことを親戚に伝えようと決めていたそうです。

それなのに大叔母の気持ちを汲み、私に声をかけてくれたこと、本当に感謝してもしきれません。

正直、いまも悲しくて心の整理がつきません。

でも、ご家族のおかげでゆっくりと大叔母とお別れができ、ご家族には感謝でいっぱいです。

一生忘れられないお別れでした。

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