「血も涙もない!」鬼のように厳しい整体の先生。だけど、曲がらなかった足を直してくれた一生の恩人

ペンネーム:YAKO
性別:女
年齢:37
プロフィール:祖父、祖母の介護を経験しています。小学校3年生の頃から6年間通い続けた整体の先生に、素直に伝えられなかった気持ちを綴ってみました。
※毎日が発見ネットに掲載された体験記を再構成してお届けします。

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私には人生の恩人と言える方がいるのですが、社会人になるまでその人に対して苦手なイメージが抜けず、素直に感謝できないでいました。

その恩人との思い出は、辛い闘病生活の記憶とセットになっていて、負のイメージがどうしても拭えきれなかったのも原因かもしれません。

小学校3年生くらいの頃に、低身長などの特徴を持つターナー症候群と診断され、ホルモン治療を受けるため、地元の千葉県から東京の大学病院まで母と共に電車で通っていました。

その治療中の頃だったと思います。

急に微熱が続いて学校を休みがちになり、2〜3カ月その状態が続いた後、いつの間にか正座ができなくなっていたのです。

症状は悪化し、筋力が衰え、腕や足の曲げ伸ばしがさらに困難になってしまいました。

微熱は治療を受けて治ったのですが、体が硬くなった原因は結局、東京の大学病院でも分かりませんでした。

これによって階段の上り下りも難しくなってしまいました。

そんなとき、祖母の知り合いから紹介を受け、整体の先生の所へ通うことになったのです。

この先生が恩人と言える方なのです。

年配の男性ですが、とにかくパワフルで、ご自分の治療に信念を持って取り組まれていて、私のことも「必ず治す」と仰っていたそうです。

実際の施術では、曲がらない関節を曲げようとするのですから、息もできないくらいの痛さが襲います。

最初の1カ月位は、治療中わんわんと声を張り上げて泣いていた記憶しかありません。

しかし、その治療のおかげで徐々に正座もできるようになり、同時に治療の痛みも徐々に薄れていきました。

それでも、先生の厳しい性格も相まって治療に馴れることはありませんでした。

昔ながらの職人気質で、食事管理や生活面の指導が厳しく、「昨日は何を食べたか? きちんと運動はしたのか?」と聞いてきます。

生活が指導通りでないと、怒鳴られることも多々ありました。

「手は鬼だが心は仏だ」とその先生を指して言った患者さんがいると聞いたのですが、当時は「心も鬼だ...」と思ったものです。

しかし、運動や生活面の指導をしていただいたおかげで、確実に体力が戻り、体の関節がやわらかくなっていき、整体の成果を実感できたのもまた事実でした。

先生のところには中学校を卒業まで通っていたのですが、足や関節もすっかり完治し、体力も付いてきたので高校入学を機に通うのをやめることになりました。

それまでは休日、祝日を除いた平日整体に通いづめだったので、最初やめると聞いた時は、開放感でいっぱいでした。

「空いた時間を何に使おうか、あとは自分で運動でもして、体力を付けて、何でもできるようにするんだ!」と一気に自分の世界が広がると感じたのを覚えています。

いざ最後の治療に整体に伺うと、ふと先生がこれまで見せたことのない優しい顔で「もう終わるんだなあ」と寂しそうに呟き、「長い間よくがんばった」と労いの言葉をかけてくださいました。

今までそんな言葉をかけてもらったことがなかったので、それまでの厳しさの裏にあった優しさや心配りを感じ、一気に感謝の気持ちが湧いてきました。

泣くものかと歯を食いしばりながらも、目に涙がにじむのをおさえられませんでした。

その後、私が高校を卒業した頃に挨拶にうかがうと、卒業祝いにと万年筆をプレゼントしてくれました。

また、祖父や祖母が整体に通うことになり、私も祖母を迎えに行った時には「お前もついでに」と少し整体を施してくれて、再びご縁ができました。

祖母が脳梗塞で倒れた時も、持ち前のパワフルさで祖母の運動機能を戻そうと奮闘してくださいました。

先生は祖母とさほど年が変わらない位のお年ですが、現在もパワフルに働いてらっしゃいます。

この出会いがなかったら、なんでも一人でできるいまの私はいません。

今だから言える心からの大感謝なのです。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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