「夫は結婚、妊娠、出産までは本当に優しい人でした。でも、夫の裏切りはもっと前から始まっており、何と子どもの名前を浮気相手に考えさせていたんです。絶望した私は離婚を決意したのですが...」
親や夫、子ども、友人に職場の同僚、ご近所さん...。アラフィフ女性を中心に、みなさんから寄せられた人間関係の「モヤモヤ」「スカッと」「泣ける」実体験エピソードが漫画になりました。この時、あなたならどうしますか?
育児ストレスと手紙事件をきっかけに、私と夫の関係は大きく変わってしまいました。
浮気が大きな理由なのはもちろんですが、育児に協力的でないこともつらかったのです。
双子なので、夜泣き・授乳、何でも2倍の時間を要して、うまくできない事にいらいらしていたのに、主人はたいていの家事はやってくれるのですが、育児に関してはノータッチ。
オムツも変えなければ、夜泣きをしても起きる気配もない。
そんな人とまた子どもをつくるなんてまっぴらごめんでした。
嫌悪感は日に日に大きくなり、電話では話せるのですが、主人が肩に手をおくのも気持ち悪くなっていました。
自分でも説明がつかないその嫌悪感を、主人が理解できるわけもなく...。
その態度が主人をだんだんと孤独に追いやって行ってしまったようです。
そのころからでしょうか、主人がまっすぐ帰らず寄り道をしてくるようになりました。
その後も、車が欲しいと言ってみたり、子どものことはそっちのけで、自分のやりたい事を主張するようになり、こちらが、育児に追われていてもお構いなしで、家事や育児に全く興味を示さなくなっていきました。
帰宅して、主人と話し合いましたが、あくまでも、浮気もしていなければ、仕事で遅くなっているだけで、問題はない。
それよりも、最近私が構ってくれないと不満を漏らし始めたのです。
こちらも必死で、今の産後鬱状態を説明して、自分でもどうしようもない状態だから落ち着くまで待って欲しいと頼みました。
もし主人にそこで改心の様子がみられたなら、頑張れたかもしれません。
しかし、それからも一向に生活に変化がなかったのです。
離婚する気もなく浮気をやめるわけでもなく、悔しくむなしいく日々が過ぎて行きました。
しかしとうとう、夫が外泊。しかも、それを都度メールで伝えて来るようになり「あーもうこれは駄目だ」と私の中でぷつんと糸が切れました。
主人が寝静まった後、携帯電話の証拠を確保したあと、離婚をつきつけました。
主人の母からは最後まで離婚はしないでやってくれと頼まれました。
しかもわざわざ、相手の女性の所にまで乗り込んで話をしに行ってもくれました。
でも、私も育児に追われて疲れて、主人の事は考えるのが嫌で、もうくたくたでした。
子どもの事はどうするのかと尋ねると、「私が離すわけはないから俺があきらめる」と言いました。
その言葉が簡単に出た事に、私は驚きと落胆を隠せませんでした。
中学生の頃に彼の両親が離婚をして、父親と会えなくなったという経験が、彼にそう決断させてしまったという事は間違いありません。
でも、俺は絶対そうはならないと結婚前に宣言した事を忘れてしまったのでしょうか。
残念で仕方ありませんでした。
私がおこした調停では、私と話をさせてくれとしきりに言っていたようですが、私は会って話すことを拒否しました。
その時に話を聞いていれば結果は違ったかもしれませんが、私にはそれを聞く気力がもうありませんでした。はやく、このごたごたから解放されたかったのです。
調停では向こうの歩がわるく、1回目の調停には顔を出しましたが、それからは二度と顔を見せる事はありませんでした。
養育費の取り決めをし、離婚という形になりましたが、養育費は15年たった今一度も払われることはありませんでした。
弁護士さんに相談しましたが、彼はその後すぐ会社を辞めてしまったようで「裁判では勝てるが、ないところからはとれない」と言われ、諦めざるを得ませんでした。
今思うと、もっと他に方法がなかったのかと思いますが、その時は子どもたちの世話に追われていて、先のことまで考えられなかったのです。
もし離婚という道、それしか選択肢がないのであれば、離婚相談専門弁護士にちゃんと相談して、どうすればいいのか指示を仰ぐのが絶対に良いと思います。
子どもを1人で育てるのは本当に大変なのですから。
漫画:にーや/原案:「毎日が発見ネット」みなさんの体験記
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