性別:女
年齢:53
プロフィール:私の母は現在85歳。6年前に突然路上で倒れ右半身マヒになりました。記憶障害も起こし、今では私が誰だか分かりません。病状から老人ホームでは受け入れてもらえず、サービス付き高齢者向け住宅に入っています。
私には、現在85歳の母がいます。母は79歳の頃に脳出血で倒れ、救急病院に運ばれました。
母が倒れたと連絡が来た時、病院には先に78歳の父と兄夫婦が駆けつけていましたが、父と兄は母が持病の糖尿病でどのような薬を飲んでいるかを説明することができませんでした。そのため薬剤の使用に制限がついてしまい、必要な薬が使えず、母は大きな後遺症を残す事となってしまいました。
右半身麻痺と言語障害、認知症、さらに糖尿病が悪化したためにインシュリンを1日に4回投与、口から食事が出来なかったので鼻腔栄養を受けることになったのです。私は「もっと早く私が駆けつけていれば」「母にお薬手帳を持たせていれば」と本当に悔やんでなりませんでした。
このような状況だったのですが、しばらくすると病院から「病状が安定してきたので、もうそろそろ退院後の事を考えていきましょう」と言われ、私たち家族は「こんなに大変な状態でも安定してることになるんだ」と驚きました。
救急病院には相談室があったので、退院後について相談しに行きました。兄のお嫁さんからは「私は介護なんてできません」と言われ、私は介護をしたくても、エレベーターのない団地の2階に住んでいたために、通院時の事を考えると母を受け入れる事はできませんでした。選択肢は施設しかなかったのです。
ですが、ほとんどの施設の看護師さんは夕方には帰ってしまうので、1日に4回、6時間おきのインシュリン投与が受けられません。また、鼻腔栄養もダメらしく、受け入れ可能な施設は高額な有料老人ホームしかありませんでした。
特別養護老人ホームは、鼻腔栄養の場合は手術をして、胃ろうに切り替えなければ入れないと言われました。ですが、母は回復に向かっていて、少しずつ口から食事が出来るようになっていたので、胃ろう手術はどうしても避けたかったのです。
高級有料老人ホームは、月々の利用料が私の月収を上回る金額で、とても入所できる施設ではありません。探したら見つかるかも知れないと、何件も何件も探しましたが、全てインシュリンと鼻腔栄養の「医療行為」が引っかかって断られました。
先が見えない老人ホーム探しに希望を失い、精神的にクタクタになり、「そんな施設、あるわけがない」とも思うようになっていきました。
諦めかけていた時に病院の相談員さんから電話を頂き、サービス付き高齢者向け住宅(略してサ高住)を紹介して頂く事ができました。
サ高住は、高齢者向けマンションのようなもので、職員が常駐している形ではなく、訪問介護と訪問看護によって成り立っています。そこでは看護師さんが24時間体制で訪問してくれるらしく、インシュリンも鼻腔栄養も受け入れてくれると言われました。訪問介護で成り立っているといっても、施設に誰もいなくなる事はなく、介護保険の計算上、訪問介護になるようです。
福祉関係の方も、病院の相談員さんも探して下さって、見つかった時には感謝の気持ちでいっぱいになり、家族みんなで喜び合いました。
その後、退院時に医師にインシュリンの話をすると、10年後などに他の病気を併発する恐れがあるけれど、1日に2回のインシュリンに切り替える事ができると言われました。10年後と言えば、母が90歳になる年。インシュリンについては、薬を替えて頂きました。
現在母は、サ高住の個室でいき届いた介護を受け、のんびりと過ごしています。利用料は家賃が6万円で、1か月の総額は高くても14万円未満。食事、介護、医療も全て含めた金額なので、バブル時代に頑張った母の年金だけで支払っていけます。
母の施設探しは、先が見えず精神的にクタクタになりとても辛いものでした。ですが、一緒に探してくださった福祉や病院関係の方々のおかげで、母は安定した生活をおくれています。心から感謝しています。
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