性別:女
年齢:53
プロフィール:父を87歳で亡くしました。亡くなるまでの数年間は手術をしたり入院をしたりはありましたが、比較的元気で頭もしっかりしていました。しかしある日を境に急に動けなくなり性格も変わってしまいました。
※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。
私の父(87歳)は陽気な性格でおしゃべりが大好き、いつも周りの人を楽しませる可愛いおじいさんでした。80半ばを超え、体も少しづつ弱りはじめ、ある日ベッドから落ちた事から介護生活になりました。
介護認定の手続きから始まり、車イスもおむつも始めて、通院やリハビリ、デイサービスと大変な事が多かったですが、最も辛かったのは、父の性格が急に変わってしまった事でした。
性格が変わった原因は、はっきりとは分かっていません。軽度の認知症と診断されていたので、そのせいかもしれないとのことでした。何より、自分で思うように動かない身体が、イライラを増大させていたのだと思います。あれほどにこやかで陽気だったのに、すべてを拒否する性格となったのです。
あんなに可愛がっていた飼い猫が枕元にすり寄ってきても冷たい目でにらむだけ。大好きだった庭のジャスミンをいけて見せても、「においがきつ過ぎるからどこかへ持っていけ」。そして、「いらないよ、ノーサンキューだ」が口癖になりました。病気がそう言わせているのだと分かっていても、私の心は悲しさでいっぱいになりました。介護という初めての経験に、私の心も対応できませんでした。食べ物やの飲み物さえ拒否する父に怒り、優しい言葉をかけることも出来なくなってしまいました。
父はどんどんやせ細っていきました。「お願いだからお水を飲んで」泣いて懇願する私に父はコップの中のストローをブクブクさせてふざけます。私の心は悲しみと絶望でいっぱいになりました。ただ私はその時点で父が死ぬという事は全く考えてませんでしたし、回復を信じていました。急に具合が悪くなった最後の朝でさえ、いつもの不機嫌の延長としか思えなかったのです。
そして父は急に逝ってしまいました。3日前までデイサービスに通っていたのに、急性心筋梗塞で突然のことでした。冷たくしてごめんと謝る時間もなく、育ててくれてありがとうと言葉をかけさえできなかったのです。
もう2度と父には会えません。後悔と自責の念。なぜあんな最後だったのだろう。あんまりじゃないか。もう一度やり直させて欲しい。4年経った今でも私の心はかき乱れています。人の介護体験を聞いたり、本で読んだりわかったつもりでいたのに、いざ自分の親となると全く対応出来ず、しかも、自分の辛さ悲しさで手一杯で、優しく接するということができませんでした。
今、時間が経ってつくづく残念だと思うのは、おそらく父本人も家族も、死が目前に迫っているという実感がなかったので大切な事を伝えあえなかったという事です。
誰しも突然親の介護を始めると戸惑うとは思うのですが、辛くて落ち込んだ時、少しだけ想像してみて下さい「この人ともう2度と会えなくなる」と。そして優しい言葉で接し、感謝の気持ちを伝えておく事が大切だと思います。
- ※
- 健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
- ※
- 記事に使用している画像はイメージです。