私が叔母の面倒をみてあげればよかった...。今でも思い出す、車椅子の寂しい姿

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ペンネーム:みどり
性別:女
年齢:55
プロフィール:アルツハイマー型認知症と診断され、特別養護老人ホームで79歳で他界した叔母の寂しい姿を今も忘れられません。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

私には、父の妹であるたった一人の叔母がいましたが、7年前79歳で他界しました。

叔母は、一度も結婚経験がなく子供もいなかったので、祖父母や叔父、私の父が他界した後は、身内といえば、私達9人の甥姪しかいませんでした。

叔母が他界する5年前の事。当時叔母と付き合っているという男性から私の自宅に電話がありました。叔母がおかしくなり暴れているので、どうにかして欲しいとのこと。

ただ、私の自宅から叔母の家までは車で1時間40分ほど。すぐに飛んでいくにも時間がかかるので、叔母を救急車で病院に搬送していただけないか、病院が決まり次第私の携帯に連絡して欲しいとお願いしました。しかし、男性から一切何の連絡もありません。

私は急いで叔母の自宅に向かいました。4、5年ぶりに会う叔母でしたが、何の変わりもなく元気に、私達の来訪をとても喜んでくれました。そんな叔母の姿を見てすっかり安心し、3人でお茶を飲みながら2~3時間会話を交わしながらのひと時。

とは言っても心配だったので、近くに住む20歳年上のいとこ(男性)に叔母を時々訪問して欲しいとお願いしました。

それから2日後、いとこから電話があり、嫌がる叔母を無理やり病院に入院させたとのこと。あんなに元気だったのに、私は戸惑い驚きました。その週の休日に早速母と叔母を見舞いました。叔母は、病院に隔離された状態でしたが、室内を元気に歩き回っていました。

いとこは、入院時に叔母の医療に関する保護者となっており、最初はいとこの了承なしに叔母との面会ができなかったのですが、叔母が母と私に会いたいと言ったので、面会はできました。

その後「叔母はアルツハイマー型認知症と診断され、入院となった」といとこから聞きました。私は、叔母に誰よりも一番可愛がってもらい、私も叔母がとても大好きで、小さい時は、叔母が遊びに来てくれるのが楽しみでした。毎回叔母との別れが辛く、よく泣いていたものです。ですので、いとこには叔母を私の家の近くの病院に入院させて傍で面倒を見たいとお願いしたのですが、こちらで面倒見るからときっぱりと断られました。私はいとこより随分年下だったので、これ以上強くは言えませんでした。

 

元気だった叔母ですが、私と母が見舞いに行くたびに気力がなくなっているのが分かりました。さらに病院のベッドから落ちて骨折し手術をしてからは、車椅子の生活になってしまいました。

そんな入院から1年後位に、私達に何の連絡もなく叔母は特別養護老人施設に入所することに。叔母の施設に面会に行った時、スタッフの方が言うには、いとこは、殆ど叔母を見舞うことはなかったようです。

私と母は遠いながらも、1、2カ月に一度は、施設に訪れていましたが、その他は誰も叔母を見舞う人はいませんでした。ポツンと車椅子に座り、何することもなくボーっとしていた叔母は、段々と認知症も進み、亡くなる前には、殆ど私のことも分からなくなっていました。

そして、結局傍で看取ることもできず、帰らぬ人に。

車椅子に座っている叔母の寂しい姿を、今も忘れることはできません。あの時、いとことの関係を悪化させてでも私が住んでいる地域の施設に入れて、身近で面倒をみてあげれば、もっと叔母の笑顔が見れたのではないかと思うと後悔するばかり。いとこがそれなりに叔母とのコミュニケーションを大切にしてくれていたら、私もこんなに後悔することはなかったと思います。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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