全てを捨て、妻と二人念願の飲食店開業へ。貧しくも悔いのない早期退職劇

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ペンネーム:オイラ
性別:男
年齢:69
プロフィール:妻と二人暮らしの年金生活者です。1999年に会社を早期退職し、昨年まで飲食業を営んでいました。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

◇◇◇

1998年のある日、当時建設会社の大阪支店で責任者だった私のところへ、東京の本社から社長が飛んで来ました。というのも、その数日前に、50歳を目前にひかえた私は辞表を出していたのです。「何が不満なのだ!待遇か?来年春の役員改選の際には君を取締役に選任することも内定しているんだぞ」。こう説得してくる社長に、納得のいくような言い訳を私は口にできませんでした。「以前から飲食業を始めたいと考えていたものですから」と、歯切れの悪い説明しかしない私に、「そんなことは定年過ぎてから始めればよいではないか」と、呆れ顔の社長もしまいには匙を投げたようです。尊敬している社長に対して、誠に申し訳ないと思いながらも私は辞意を貫きました。

半世紀ほども前、私は一流ではないけれども全国大手の建設会社に入社しました。しかし、大半の者が大学卒のその会社で、高卒の私とは給与をはじめとする待遇の差は歴然としていました。若かった私はその頃、並みの人間より己の方が優秀であると過信していましたから、そのことに強い憤りを感じました。そして、その憤りを原動力に、周囲の者すべて追い抜くまでという一念で、日々を過ごす決意をしたのです。企業で人を追い抜くとは、実績数字をあげることにほかなりません。結果として27年間もひとつの会社に勤める要因ともなったわけです。

私は人づきあいが得意なほうではありませんでしたが、目の前の相手のわずかな言動から相手の心の動きを読み取ることは、人より得意だったと思います。そんな私が入社して数年後、営業職に回されました。これが私に向いていたようで、10年、20年と経つうちに、同年代で私の上に立つ者は社内に居なくなっていました。同業他社の連中からも「やり手」と目されるようにもなったのです。若いころの過信は自信に変わっていました。

けれども、40を過ぎ50歳が近づくにつれて、虚しい気持ちが湧くようになってきました。いわゆる出世ということを、人生の最終目的とは私はまったくかんがえていなかったようです。社内の部下と接する管理能力も同業他社の相手とする交渉能力も、周囲の評価とは無関係に私にとっては虚しさや煩わしさをもたらすものにすぎなくなっていました。

そんななかで、私は自分が飲食に対して尋常ではない執着を持っていることに気づくようになりました。美味しいと聞けば可能な限りその店まで出向いて飲食し、また自宅へ帰ってはその料理を自分なりに作って再現してみることに喜びを感じていたのです。他者を相手に外で戦うことよりも、食材を相手にあれこれと完成した料理を思い浮かべながら過ごす時間のほうがはるかに自分には自然なものとなっていました。

そして冒頭のやり取りの末、私は早期退職を果たして居酒屋を始めました。退職の挨拶に回った際の社内や同業他社の誰も彼もが口には出さずとも「けっこうな地位をうっちゃって、なんで居酒屋なんぞを始めるの?」という表情で満ちていました。そのなかで、ありがたかったのは「やりたいのならやれば」と、さりげなく受け止めてくれた妻の一言です。

始めた居酒屋は予想通り儲かりませんでした。素人商売が一番の原因でしょう。1年の利益ではなく総売上がサラリーマン時代の年収に及ばなかったほどです。けれども、サラリーマン時代の私の強面ぶりをも知る店の常連さんの一人が、ある時こんなことを言ってくれました。「以前とは違ってマスターは柔らかい表情になったね」と。この言葉はうれしかったですねぇ。この常連さんの感想が、その頃の私自身の心のありようと、ぴったり重なったからです。

妻は料理がまったくできませんから、私の苦手な接客を妻に任せきりました。店が暇な折に「ヒマだねぇ」と、相槌をもとめる私に「居酒屋って、もっとガバガバ儲かるものだと思っていた」と、屈託のない陽気さで応じてくれる妻が、私の気持ちを救ってくれていました。この妻あってのことでしょう。いつまでもつのかと思われた居酒屋が20年近くも営業できたのは。貧しくも悔いのないことが私の誇りです。

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