生後間もない娘の病院費にまで手をつける夫との離婚。大変だったけど幸せです

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ペンネーム:自由なカモメ
性別:女
年齢:54
プロフィール:失業状態だった主人と離婚し、経済苦を乗り越えて心の底から幸せを感じるまで10年近くかかりました。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

私は娘が産まれてまだ間もない頃に、夫と離婚しました。夫は「仕事に困っている」と言いながら、家でゴロゴロしている生活。自営業でしたがお客様からの依頼がなく、ほとんど失業同然の生活をしながら、主人はアルバイトもしようとはせず、娘の病院代にも手を付ける有様。何度も大喧嘩になりました。

主人は家を出ていき、共通の友達に私の悪口を言いまわっていたようです。私のことを心配した友達は、娘の定期検診の度に車で送迎してくれるようになりました。

それから、仕事をしない主人との生活を続けて大切な生活費を遣われるくらいなら、離婚した方が生活が楽になると判断し、離婚しました。

離婚したことで生活は楽になりましたが、ずっと親しくしていた別れた主人の両親と私の両親との関係は、ヒステリックな母の暴言や、舅との感覚の違いから最悪になりました。それ以来、両親が「もうあいつとは2度と会うな。孫とも会わせるな」と言い、そんなこともあって主人とは離婚後一度も会うことがありませんでした。

その頃、たまにかかってくる夜中の無言電話に起こされ、寝不足状態で仕事をすることもしばしばあり、悩まされていました。無言電話は主人に違いありません。そのうちに、申し込んでいた団地が当たったことから団地に引っ越すこととなり、それからは静かな生活ができるようになりました。

その団地には幸いなことに保育園があました。私は娘をそこに預けて、介護関係の資格を取ろうと職業訓練校に通いました。受講期間は半年間。訓練費や昼食代など、支給される費用は1カ月に16万円くらい。団地生活だったおかげで、十分余裕のある生活ができました。ですが、心配だったのは修了してからのこと。子供がまだ小さいのに、1カ月に16万円も稼げるかどうか自信が持てなかったのです。

 

私は資格を取得してから、すぐにデイサービスの契約社員として週5日、朝の10時から夕方5時まで勤めるようになりました。ですが思った通り、学校に通っていた時のように16万円なんて稼げませんでした。仕方がないのでできる限り節約し、娘が寝ている時には、パソコンでポイントサイトやアンケートサイトで稼ぐようになりました。娘は突然風邪を引いたりするので、そのたびに1週間くらい仕事を休まなければならず、貯金なんてまったくできませんでした。

そうやって、私たち親子は常に経済的に悩まされていましたが、その悩みは娘の成長と共に解決していきました。娘は小学3年生頃からだんだんと体調を崩すことがなくなりました。そして、一人で留守番ができるようになった頃から、私は長時間の勤務が可能になり、少し余裕のある生活ができるようになったのです。お給料日には二人で回転寿司に行くのが楽しみで、レーンを流れてくるお寿司をお腹いっぱい食べ、帰りにはレジの横にある商品を1つだけ買ってあげました。

生活が楽になり、心から幸せだと感じるまでには10年近くかかりましたが、ずっと娘の笑顔が私の支えでした。小さかった娘も現在は高校生。離婚して大変だった時期を二人で乗り越え、今はとても幸せな生活をしています。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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