ディスコとスーパーボールと麻雀に明け暮れた、我が青春の昭和後期

ディスコとスーパーボールと麻雀に明け暮れた、我が青春の昭和後期 pixta_7997866_S.jpg

ペンネーム:翁
性別:男
年齢:58
プロフィール:東北の片田舎から上京して早40年近く経ちました。田舎での青春の日々、あの頃を思い出すこの頃です。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

◇◇◇

今から約40年前、大学時代のあの頃、巷では「ディスコ」ブームがありました。新宿、六本木等の「ディスコ」には「ディスコ」に趣く若者がすごく集まっていました。当時は、映画でも「ディスコ」を舞台にした映画が流行っていたほどです。世の中の景気も徐々にですが向上しだした頃でもありました。

同時に、新宿では「スマートボール」と言われる、パチンコに似た昔からのゲームも街から消え始めた頃でもあります。
昭和の後半期でもあり、色んなことがどんどんと変化しだした頃です。

大学には、授業を受けに行くというよりも、仲間を集めて、麻雀、飲み会と遊ぶことばっかり、勉強はそっちのけ。もちろん、簡単には卒業できずに、自分の所業を反省したのはいうまでもありません。

大学は工学系の大学だったため、実験系の授業をサボるとたちまち留年の危機に瀕するため、サボるのは10回に1回程度に留め、レポートは成績優秀な生徒のレポートを模写。

授業をサボったツケを何とか取り戻すため、期末時は単位獲得のために必死に駆けずり回ったこともしばしばです。

授業が終わると、部活に行くのですが、JAZZ研だったので、練習をそこそこで切り上げ、そのまま、呑みに行くのが日課にもなっていました。

当然のように飲み過ぎ、次の日の行動にも支障をきたすこともありました。

そんな、大学生活で唯一気が緩むのが夏休み。

長期のバイトもできますし、遅くまで遊んでいても翌日は休み!パラダイスです!
ですが当然、パラダイスは長続きしません。夏休みが終わる頃には、遊びすぎた自分に反省。
愛しい彼女でもいればそんな私を癒してくれたのでしょうが、残念ながら当時の私にはおりませんから、待っているのは男友達のみ。
侘しい限りですが、そんな男友達との再会でも、麻雀が出来る喜びと酒が呑める楽しみがあると思えば、それはそれでうれしくもあり、楽しみでもあり......卒業が遠のく要因ともなったのです。

長いようで短かった学生生活も卒業とともに終わりを迎えることとなり、大学で出来た友人とも別れ離れとなり寂しい限り。

卒業してから現在に至るまで、仕事の都合で友人の住む、大阪や、名古屋、福岡などに出張で行った際には、旧友を呼び出し、再会祝いと称しての一献が楽しみです。

大学で経験した一つ一つの経験は、今、いろんなところで役に立っていると私は信じています。

教室で学んだ知識、アルバイトで得た仕事への心得、友人と語り合った日々、その全てが、今の私をかたちづくってくれているのだと、信じ感謝しています。

そんな時代に大学生活を謳歌できたことは、今でも幸運なことと感謝しています。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
記事に使用している画像はイメージです。
 

この記事に関連する「みなさんの体験記」のキーワード

PAGE TOP