性別:女
年齢:55
プロフィール:30歳の時に一人娘を出産しました。小学校高学年になった頃からパートを続けています。
※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。
一人っ子の娘は意志の強い子でした。順調に親離れをしどんどん外の世界に飛び込んでいった娘ですが、思春期以降も母子の仲はよく、会話も多かったと思います。
進路は自分で決めた娘でしたが、ただ恋愛については悩みが豊富。よく相談をうけました。
もちろんその交際相手の話もしてくれるのですが、正直母としては「うーん、どこがいいの?」という男の子が多く、娘はまだ相手を見る目が育ってないなと思っていました。
そんな娘も大学生になると、いつもとちょっと違うトーンで恋愛相談をしてきました。お相手はバイト先の同僚で「友達なんだけど、なにかすごく合う気がする」とのこと。話を聞いている限りは、とてもいい青年。知的で賢くておもしろく、今までの娘の相手とはちょっと別次元です。
二人はいい友人という枠からなかなか先に進みませんでしたが、1年後やっとおつきあいが始まりました。娘が幸せそうに大学生活をおくる姿に、心から本当によかったと思いました。
二人は若いカップルというよりは落ち着いた夫婦のようで、心から信頼しあっている様子。娘は運命の人と会うのが早かったな、と思いました。
運命の人という言葉で思い出す人がいます。それは夫より前に交際していた人です。当時社会人だった23歳の私は、年下の音大生と付き合っていました。本当に素敵で優しい人。
出会ったときからお互いに結婚を意識して、彼は友人の集まりには必ず私を連れていくという公認の仲で、とても幸せでした。
ただ、卒業後音楽で身を立てたいという彼は、自費で海外で修行をすると決意。「結婚を約束していたのにごめん。自分はもう誰とも結婚しない」と言い残し、私たちは別れたのでした。とてもとても辛いことでした。
その後私自身もきっと誰とも結婚しないのだろうなと思っていたのですが、夫と出会い結婚。夫もいい人なのですが、気性が荒いのが難。娘が小さい頃は、何度も娘と家を出る準備をしました。
そんなとき娘に言っていたのは、「男を見る目を養うこと」、「女一人でも食べていける経済力を付けること」でした。そして余談として音大生の彼の話をし、いい人は必ずいる、その人を逃しちゃいけないよと。この言葉は、私に向けられたものでもありました。
あのとき、「一緒についていく、お荷物にはならない」と私が伝えていたら、今は違ったのかもしれないと。
話は戻りますが、娘とその彼は大学卒業後、多忙によるすれ違いが原因で別れました。
ある日の夜居間で嗚咽を漏らして大号泣をしている娘がいました。彼とうまくいっていないという話を聞いていた私は、彼と別れたのだなと察しました。
「なかなか会えなくて寂しくて、もういい、会える時間を作ろうとしてくれないならいいって私から振っちゃった......」と泣き続ける娘。その姿に自分を重ねてしまいました。
「そんなに泣くくらい好きなら、まだ好きなの? 付き合いたいの?」「うん」「じゃあすぐ会って謝って、ヨリを戻しなさい! 後悔しているならいますぐ!」
私は目が潤んでいました。彼と離れたら娘が一生後悔するかもと思ったのです。私のように。
娘はすぐ電話をして、彼と話し合いました。すぐにとはいきませんでしたが、やがてまた付き合い始めたのです。
その1年後二人は結婚。今は幸せに暮らしています。
娘の人生は娘のもの、娘は別人です。自分を重ねるなんておかしいことです。ただ、あの時後悔しないようにと叫んだ言葉は、自分に向けられた言葉でもあったと思います。娘は私と違って判断を誤らず、本当によかったと思っています。
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