父の借金に子どもの世話...苦労して育ててくれた母に恩返しの機会

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ペンネーム:みすず
性別:女
年齢:55
プロフィール:私は、55歳独身。現在87歳の母と二人暮らしです。今まで自分を犠牲にして、私達を育ててくれた母に感謝。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

私は、両親、7歳上の兄と4歳上の姉の5人家族の環境で育ちました。祖父が経営する会社に勤めていた父でしたが、私が4歳の時にその会社が倒産に陥り、その後家計は苦しく貧しいものになりました。

父は我儘な性格でお酒がとても好きな人。暴力はなかったものの、飲みすぎては暴言を吐く人でした。母はそんな父にも逆らわず、朝から晩まで働き、耐え忍び、常にお金に困りながらも家計のやり繰りをして、私たちを育ててくれました。

小さい頃から洋服は姉のお下がりで、おもちゃもそれ程買ってもらえませんでした。

幼稚園の遠足の時にパズルと、小学校の入学祝いにとお人形を買ってもらったことがが嬉しくて、いつまでも大切にしていたのをよく覚えています。

ただ母は、どんなに貧しくても、お正月には毎年新しい洋服と下着、靴などを買ってくれていました。

一方、母自身の服は数着を着まわして、破ければその部分をふせて着ていました。私が小学6年生の頃、母とスーパーに歩いて買い物に行った時のことです。母の恰好を見て、後ろで近所の年下の女の子が2人で「破けた靴履いて、ズボンもヨレヨレだし」と話しているのを耳にしました。でも、私は恥ずかしいと思うことはありませんでした。

自分の欲しい物を我慢して、私達のために一生懸命な母の姿を見ていたからです。逆にその言葉を聞いた母が、娘に恥ずかしい思いをさせて申し訳ないと思うことの方が辛いと思いました。

 

兄は高校を卒業して県外へ就職し家を出ました。その後、姉は下宿して大学に通うことに。その学費と仕送りで、さらに家の家計は火の車。私は高校生でしたが、毎月の半分位は、近所からもらっていたじゃがいもをふかしたり、炒めたりとじゃがいものみの食事でした。父は好きなお酒を飲んでいたけれど、母は何の楽しみもなく、ただただ私達のためだけに働き、お金の工面でそれは大変だったと思います。

姉は嫁ぎ、私が27歳の時に父が亡くなり、それから母と2人暮らし。働いていた私は、仕事と友達や付き合っていた男性と遊ぶことで精一杯で、殆ど家にいることはありませんでした。時には、嘘をついて外泊したこともありましたが、母は私のことは何でも信じて理解をしてくれました。

母は、積もり積もった借金払いに相変わらず一生懸命働き、そして毎日私のために食事の支度からお弁当作りまで何でもしてくれていました。

 

それから、だんだんと借金もなくなり、ようやく家計も安定して平凡に暮らしていた去年の春に、突然の急病で母は入院。1年近くの入院生活を得て、今は退院したものの手の力がなく、火を使うことすらままならない状態に。入院前までは母が何でもしてくれていましたが、今は、私が炊事から掃除、洗濯まで、すべて母の面倒を見るようになりました。そんな私に母は、申し訳ないと毎日のように言います。その時は、いつも笑いながら「今までは、私がお母さんをこきつかったから、今からはお母さんが私をこきつかう番だよ」と言うと、嬉しそうに「そんなことできんよ」と。

 

何十年もの間お金に苦しみ、子供には何でもしてあげたいのに、出来ない辛さを抱えながらも一生懸命私を育ててくれた母。最近は物忘れもひどく、一人での生活は不可能な母ですが、私は今まで仕事ばかりで母に頼りきりだったので、今まで苦労した分、何の心配もなく最後まで笑顔で穏やかな暮らしができるように、今度は私が母のために頑張る番だと思っています。これは神様が私にくれた母への感謝できる機会だと思います。今度、もし生まれ変われるなら、また母の子供になりたいと思います。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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