性別:女
年齢:49
プロフィール:夫が2年の闘病の末、悪性リンパ腫で亡くなりました。2人の子どもだけでなく、要介護2の義母を抱え、借金もあり、正直お先真っ暗でした。それでも周りの人から助けられて何とかやっています。
※毎日が発見ネットに掲載された体験記を再構成してお届けします。この体験記が書かれたのはコロナ禍前です。
2年の間、悪性リンパ腫で苦しんだ夫は51歳の若さでこの世を去りました。
私が47歳の1月の出来事です。
13歳の中学1年生の息子と11歳の小学6年生の娘、そして認知症が始まってきている84歳の要介護2の義母を抱えて、悲しみよりもこれからの生活を考えて、途方に暮れました。
実家に頼ろうにも、実母が10年前から膀胱がんで入退院を繰り返している状態で、ちょっと言い出せる雰囲気ではありません。
私も長男を妊娠してすぐに会社を辞めて、それから専業主婦を続けていたので、前途多難としか言いようのない状況でした。
入院期間が長くなっており、会社の同僚などに病気でやつれ果てた自分の姿を見せたくないと、お見舞いすら断っていた夫の意志を尊重して、身内だけでの葬儀を終えると、親切な葬儀社の方からのアドバイスもあって、私は市役所に電話をしました。
私の思い込みや偏見とは真逆で、市役所の対応は親切かつ迅速でした。
「電話では話もままならないので、直接相談しましょう。つきましては、印鑑と必要書類を用意して来所してください」
そう言われました。
私は言われるがままに市役所を訪れると、その日のうちに市役所でできるすべての事務手続きをしてもらい、遺族年金の請求に必要な書類を渡され、翌日には地域の年金事務所に向かうことになりました。
しかし、私のこの時の気持ちはあまり晴れ晴れとしたものではありませんでした。
夫の病状が進んで体の自由が利かなくなった頃、障害年金を受ける対象になり、半年も前から申請していたのに、なんの音沙汰もなかったのです。
あくまで夫の場合ですが、障害年金は申請から8カ月目でようやく受給できるようになりました。
この時の思い出がよみがえり、事務所に向かう電車の中で、遺族年金はどれぐらい時間がかかるのかと、憂鬱な気分で車窓を眺めていました。
私の予想に反して、書類に不備はなく、すぐに受理をされました。
市役所で必要な書類を事前に教えてもらっていたことが幸いしたのか、2月申請で4月開始と、障害年金よりも早いペースで受給できたのです。
誰もあてにできなかった私にとっては、地獄で仏に会ったような気持ちでした。
金額は、生前に夫がもらっていた月収と比べると半分以下です。
でも、額の大小は関係ありません。
隔月でも確実に定期収入を得られることの有り難みをしみじみと感じています。
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- 健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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