娘は自分の子供じゃない?30年以上続いた父の苦悩

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ペンネーム:うずら
性別:女
年齢:53
プロフィール:子供の頃、父が帰って来なくなりました。私はずっとその理由を知らなかったのですが、父は「娘が他の男の子供じゃないか」と、悩み続けていたのです。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

◇◇◇

私は3人兄弟の末っ子として、気の強い両親のもとに産まれました。小さな頃は貧しいながらも温かい家庭でした。住居はお風呂が付いていない小さな一戸建てでしたが、父が中古のお風呂を貰ってきて、窓から出入りできる浴室を作ってくれました。今思うと、ずっとその小さな家に住んでいれば、きっと幸せな家庭のままだったのでしょう。


ある日、うちの両親は嬉しそうに「引っ越しするぞ」と言いました。聞いた話によると、当時2歳だった私は引っ越しの意味が分からないながら、兄と姉が大喜びしていたのではしゃぎまわっていたそうです。

ですが、その引っ越しが我が家の不幸の始まりでした。両親に毎月大きくのしかかってくる住宅ローン、ノイローゼになって仕事を休むようになる父、何とかローンを払い切ろうと夜中まで働く母。両親の仲は次第にギスギスし始めました。
母は保険のセールスをしていたので、お客様には男性もいました。父は母と口論になるたびに、自分への愛情を感じることができず、母がお客様と浮気をしているんじゃないかと思い込むようになったのです。

その時、実際は母は浮気をしていなかったのですが、疑われ続けるのは辛かったのでしょう。やがて年下の独身男性とコソコソ会うように。そして、やがてそれが父にバレてしまいます。その時、父は感情的になり、口論の果てに「うずらはその男の子供なんじゃないのか?!」と聞いたそうです。そして、口論に疲れていた母は、面倒臭くなり「そうよ」と答えてしまいました。

スラッとした体型で面長の兄と姉。それに比べてぽっちゃり体型で丸顔の私。前から疑っていた父は、その言葉で私を「俺の子じゃない」と完全に思い込んでしまったのです。

父は家を出て行き、消息不明になりました。会社からは毎日無断欠勤についての電話がかかってきて、母はその対応に追われながら、一人で住宅ローンの返済に苦しみました。

小学5年生の頃、父は家に電話をしてきました。
「うずらか?お母さんはいないのか?」
「うん、いないよ」
「今からちょっと出てこないか?」

そして、近所の神社で待ち合わせて、タクシーで横浜の山下公園に行きました。どうやら父は私に会いたかったようです。もちろんその時、私は父が抱えている苦悩など知りません。何年振りなのかも忘れてしまうほど久しぶりに会ったため、私は話題に困ってしまいました。天気のいい日で、一緒にマリンタワーにのぼり展望室から眺める横浜港は、陽の光が反射して銀色に輝いていました。
夕方になると、父は母にバレないように自宅近くまで送ってくれました。今でも、なぜ私だけを誘ったのかは、今も分からないままです。

父は長い年月を一人で過ごし、いつの間にか家に帰って来ました。何か、両親の間で話し合いがあったのでしょう。母も長らく不在だった父を受け入れたようでした。そしてその後は、長い長い別居生活が嘘のように平和な日々が続きました。

ずっと「なんで離婚しないんだろう」と思っていた両親でしたが、そんな平和な様子を見て、「離婚しないでいると、再びこんなに仲良くなることもあるんだな」と思うようになりました。

私が、父の口から別居に至った母との口論について聞いたのは、姉の結婚式の日。父の妹である叔母が私に言った言葉がきっかけでした。叔母は私と父に「うずらは本当にお父さんにそっくりだね。目の動きとか、呼ばれた時の振り向き方とか。血って不思議だねえ」と言ったのです。

父は、「本当に?そんなに似てる?」と、何度も叔母や周囲の人に聞いていました。

その一件で、父は私が本当に自分の娘だとようやく信じられたようでした。

式の後、父は母と口論になった日のこと、それ以来長い間一人で悩んでいたことを話してくれました。
「なに言ってるの?私がお父さんの子供じゃないはずないじゃん」

すべて聞き終わった私が、あまりのことに驚きながらそう言うと、父は口元にちょっぴり笑みを浮かべました。

以来、空白の時間を埋めるかのように温かく幸せな家族として過ごす事ができています。

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