3人の乳飲み子を抱え離婚、病気になった私。どん底からの生活保護申請へ

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ペンネーム:あき葵
性別:女
年齢:47
プロフィール:三つ子のママです。訳あって15年前に離婚して女手一つで子育てをしながら、出産と同時期に倒れた父の介護もしております。

15年前、32歳の時、主人の借金と浮気に苦しみました。離婚を決意したものの、子どもは三つ子だったので、3人の乳飲み子を抱えて途方にくれることに。

離婚調停中には不眠症となり体調を崩し、さらにヘルニアと、産後うつと、橋本病をわずらい、精神的にも肉体的にも、働ける状態ではありませんでした。
実家両親を頼りたかったのですが、同時期に父と祖母と叔母が一度に病気になり、母は看病のため父を連れて田舎へ引っ込んでしまいました。手伝いを期待するどころか住むところもなくなり、急遽知人の家を借りて生活することになったのです。


そんなとき、友人から「生活が困窮している人への援助として生活保護の適用が受けられないか相談をしてみたら?」というアドバイスをもらい、藁にもすがる思いで、市役所に行きました。
しかしそこにはいくつもの関門があったのです。
「貯金を持っていてはだめ」
「車を持っていてはだめ」
「持ち家があってはだめ」
「だめ」の連続で、正直、精神的にも体力的にも弱っていた私には堪えました。確かに車は持っています。でも、乳幼児の三つ子を外に連れて行くには車は必須です。離婚調停中で、主人の作った借金返済でほぼほぼ一文なしとなった生活で、どこに余裕があるというのでしょうか。
貯金といっても、なけなしのお金を持って家を出て来ただけで、一カ月、二カ月で底をつく程のもの。決して贅沢できるほどではありません。車だって手放せばいくらかにはなるかもしれませんが、きちんと働けるようになってから買おうと思っても手がだせる金額で売っているのかどうか。
「地に落ちるまで助けを求めたら駄目だ」と言われているように感じました。


体が健康ではないと、心も健康ではいられなくなるものです。だんだんとイライラがつのり、子供にも八つ当たりをするようになった自分に気づきました。このままでは本当に虐待につながってしまうと危機感を抱き、再び役所に行き、「体調不良で私が倒れてしまったら、子供を誰が育てていくというのか」「車が駄目というけれど、三つ子を連れて出かけるのがどれだけ大変か」などを訴えました。さらに、自分の病気については病院の診断書も持っていきました。

何度も断られて帰っては、また訴えに行く日々をくりかえすことひと月。いつもどおりおいおい泣きすがる私を、役所の職員が奥の別室へと通してくれました。無事申請が通ったのです。これで子どもを飢えさせる心配なく過ごせると、どれだけ安心したことか。


生活保護をうけながら、精神科に通い、不眠症を治し、ストレスと戦い、やっと働けるまで回復しました。そこから職業訓練所に通い就職にこぎつけるまで2年かかりました。
生活保護を停止する手続きをしに行ったとき、「初めて来られた時とは、見違えるように元気になられましたね」と役所の方に言っていただきました。こうやって、無事生活を安定させていく姿を見られるのが、一番嬉しいそうです。私はお礼をいって、無事保護から卒業することができました。


生活保護制度は、本当にありがたい制度です。しかし、この制度を悪用して、不正受給を受ける人が多いことが問題になっています。そうなると、審査がどうしても厳しくなり、必要な人に、必要なスピードで申請が降りない問題が起こります。この制度に助けられた立場として、本当に困った人への救済として、正しい利用をしてほしいと切に願います。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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