子どもの頃から続くひどい肩こり。疲労で倒れた後に気づいたこと

子どもの頃から続くひどい肩こり。疲労で倒れた後に気づいたこと 3-pixta_18316319_S.jpg

ペンネーム:フカユキ
性別:女
年齢:50
プロフィール:夫が2年の闘病の末、悪性リンパ腫でなくなりました。2人の子供だけでなく、要介護2の義母を抱え、入院費用や治療費のため借金もあり、お先真っ暗でした。それでも周りの人に助けてもらいながら、何とか暮らしております。

私の肩こり歴は約四半世紀以上に及ぶものです。ランドセルを背負っていた頃から、姿勢の悪さも手伝って、肩こりのひどい子どもでした。今思い返せば、慢性的な頭痛も、首の痛みも、肩こりがひどくてなっていたのだなとわかりますが、当時子どもだった私は、市販の痛み止めを飲んで、一晩寝ればすっかり忘れるという日々を繰り返していました。

中学まではそれほど苦痛はなかったのですが、高校に入ると低周波治療器を使わないとコリがほぐれないところまできて、それ以降は治療器を使い続ける生活。自分では目の悪さからくる眼精疲労が原因なのだろうなどと考えていたのですが、あまりに肩こりの症状がひどいので、今から12年前の38歳の時に、たまりかねて形成外科で診てもらうと、原因がわかりました。

私の肩こりの原因は、頸椎の第7番目の骨がずれているということでした。幸いにも手術するほどのひどいずれ方ではなかったものの、診察を受けたその日の晩から、普通の枕が禁止されて先生がバスタオルを丸めて作ってくれた枕をあてがい、寝る前に先生から教えてもらった首のストレッチをして寝るのが日課となりました。首のストレッチは緊張した首周りの筋肉をほぐし、血行を良くするものでした。首を前後左右に何回か曲げた後に、右回りと左回りに首を回すようなものでしたが、血の巡りが良くなるようで、体が温まるような感覚があります。

首の周りの筋肉の緊張をほぐす薬(筋弛緩剤)をはじめ、漢方薬や湿布薬がうんざりするほど処方され、これでついに治るんだ!とその時は思い込んでいました。

しかし現実はそこまで甘くなく、症状は軽くなったような気はするものの、完全には治りません。そして5年後、43歳になると首の寝違えたような痛みがひどくなり、思い切って大きい大学病院に行き、CTを撮ってもらいました。

結果は、以前の診断と同じ。頚椎の7番目の骨のズレはわずかで、手術を受ける必要があるとは思えないという診断でした。基本は今と同じ生活でいいでしょうと言われてしまい、飲み薬と湿布薬が変わっただけでした。薬が変わっても劇的な変化もないまま、更年期に悩まされたり視力低下におののいたりといった日々を過ごしていたところ、もっと大きな出来事が起きました。夫が悪性リンパ腫になったのです。

その後のことは、もう肩が痛いとか、痺れるなどの泣き言をいえない状況だったので、毎日荷物を持って病院を往復する日々を2年間続けました。そして悲しいことに夫は故人となってしまいました。

夫が亡くなって間もない、2年前の2015年の4月、私が48歳の時です。自身の更年期と体の不調、同居中の義母の介護、実母の膀胱がんの複数回の再発と、大変なことが重なり過ぎていて、感覚が麻痺していたのかもしれませんが、私は疲労から倒れて、丸々2日間寝込みました。

その間、義母は介護施設にショートステイで預かってもらい、家事は中学生になった娘がやってくれたので、私はノータッチでただ寝ているだけでいいという、結婚して子どもを産んでから、1度もできなかった夢のような2日間を過ごしました。

その2日間を過ごしたあと、私の体に変化がありました。肩こりが随分と軽くなっていたのです。肩こりだけでなく、体全体が軽くなっています。驚いた私は次の日に、近所の形成外科に行き診てもらうと、相変わらず首の骨はズレていましたが、首のコリは改善されているという話でした。先生に今までの経緯を話すと「慢性疲労が原因かな。ときどき休まないといけないってことでしょう」と言われました。

その後も、首コリは相変わらずですが、出来るだけ疲れをためないように気をつけるようになりました。そのおかげか、痺れるようなひどい肩こりや首コリは、2年前の4月以降起きていません。気分的なものもありそうですが、休息が1番の薬になることは私に限っては、あるようです。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
記事に使用している画像はイメージです。
 

この記事に関連する「みなさんの体験記」のキーワード

PAGE TOP