ありのままの現状を受け入れることから始める。「自分の価値は自分で見出す」/岸見一郎「生活の哲学」

定期誌『毎日が発見』の人気連載、哲学者の岸見一郎さんの「生活の哲学」。今回のテーマは「自分の価値は自分で見出す」です。

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なぜ他者の評価が気になるのか

人から自分がどう評価されるかは、岬に打ち寄せる波の飛沫のようなものであり、そんなことに心を煩わされて日々生きる喜びをふいにされたくはない。

それなのに、他者からの評価が気になって仕方がない人がいる。

「ひどい人」などといわれたくはない。

評価が聞こえてこないように耳を塞いでいても、あなたの悪口をいっている人がいると親切に教えてくれる人がいる。

もちろん、余計なお世話なのだが、知ってしまうとなかなか心から離れない。

なぜこれほどまでに他者からの評価が気になるのだろうか。

自分について高い評価をし、自分を肯定的に見られる人であれば、他者からどんな評価をされても気にはならないだろう。

自信があるからである。

しかし、そのような自信がある人は少ないだろう。

他者からの評価が気になるのは、人からいわれるまでもなく、自分でも自分の価値は高くないと思っているからである。

だから、自分の価値が正当に評価されていないのではないかと気にかかるのではない。

低い評価をされた時、それが不当な評価だと思うのではなく、言い当てられたと思うのである。

さりとて、他者の評価が正しいことを認めたくはない。

この屈折した思いからなされる行動は一見理解し難いことがある。

他者を避けるために

人から評価されないためには人と関わらなければいいと考える人がいる。

人と関わらなければ、ひどいことをいわれたりして傷つくことはないからである。

しかし、すべての人が自分をよく思っていないはずはない。

わずかな人からひどいことをいわれたという経験を一般化して、そのことを他者と関わらない理由にして、他者からの評価を退けてしまうと、自分についての高い評価も知ることがなくなってしまう。

そのため、いよいよ自分を受け入れることができなくなり、人と関わらなくなる。

対人関係は悩みの源泉といっていいくらい厄介なものだが、生きる喜びや幸福もまた対人関係からしか得られないというのも本当である。

人と関わらないでおこうという決心を覆すのは難しいが、次のことを知らなければならない。

まず、他者からの評価を恐れていることを、人と関わらないための理由にしているということである。

自分は「いい人」ではないから、人によく思われず、友人も少ないのではなく、自分が人と関わらない決心をしていることを知るだけで、他者の評価について違った見方ができるようになる。

次に、他者の評価は自分の価値や本質とは関係がないということである。

誰かに「ひどい人」といわれたところで、それはその人の自分についての評価でしかなく、その評価の言葉で自分の価値が下がったりはしない。

さらに、他者の自分についての評価は間違っていることが多いが、そもそも自分の自分についての評価が正しいとは限らないということである。

例えば、自分について「暗い」という評価をするのは人と関わらないためなのだから、その目的に適う評価なら何でもいいわけである。

その際、他者の評価を採用することになる。

人と関わらないために自分を評価しているということがわかり、人と関わる決心をするのであれば、他者の評価を気に留めないで、自分で自分の評価を変えればいい。

「他者の」自分についての評価は自分の価値や本質とは関係がないが、「自分の」自分についての評価は自分の価値や本質を変えることができるのである。

これは、つまり、自分の価値は自分で見出すということである。

価値低減傾向

他者に怒りをぶつける人がいる。

部下から間違いを指摘されたら、怒り心頭に発する。

仕事には直接関係のないことでも部下を叱りつける。

このような態度を取る人は自信がある強いリーダーではない。

有能なリーダーは部下を叱る必要がないことを知っている。

部下を叱らなければならないのは、リーダーとして無能だからではないか。

家庭でも子どもを叱りつけるが、子どもは公然と反抗する。

職場では叱ると部下は黙ってしまうが、陰では自分を笑っているかもしれない。

自分が無能であることを部下は知っていて、有能なリーダーと自分を比較しているのではないか...。

こんなふうに思う人を脅かすのは、他者の「あの人は無能だ」という評価である。

だから、部下の評価を気にかけ、恐れないわけにはいかない。

しかし、有能なリーダーになる努力をしようとはしない。

その代わり、自分の無能を隠し、批判を封じ込めるために部下を叱りつける。

そうすることで、部下の価値を貶め、相対的に自分の価値を高めようとする。

アドラー(※1)はこれを「価値低減傾向」といっている。

※1 アルフレッド・アドラー(1870~1937年)。オーストリアの精神科医、心理学者。

嫉妬する人

三木清(※2)は、嫉妬について次のようにいっている。

「嫉妬は自分よりも高い地位にある者、自分よりも幸福な状態にある者に対して起る」(『人生論ノート』)

嫉妬する人は、自分も高い地位につき、幸福になろうとはしない。

「嫉妬は、嫉妬される者の位置に自分を高めようとすることなく、むしろ彼を自分の位置に低めようとするのが普通である」(前掲書)

これもアドラーのいう「価値低減傾向」である。

努力して自分を高めようとするのではない。

嫉妬する人は「平均的なものに向っている」(前掲書)のであり、自分より優れた人の足を引っ張ろうとする。

このようなことをしてまで自分の価値を高めようとする。

しかし、そのようにして自分の価値を相対的に高めることができたとしても、幸福についていえば、幸福であると「思われる」かもしれないが、実際に幸福で「ある」ことはできない。

他者の価値を貶め、他者に嫉妬するのは劣等感があるからである。

どうすれば劣等感を克服できるだろうか。

ありのままの現状を受け入れることから始めるしかない。

そのためには、他者と比べてはいけない。

誰かと比べることなく、誰とも代えることができない自分に価値があると思えなければならない。

※2 哲学者(1897 ~1945年)。『人生論ノート』は発表から80年を超えて読み継がれている。

 

岸見一郎(きしみ・いちろう)先生

1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件 アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

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『老後に備えない生き方』

(岸見一郎/KADOKAWA

2018年から2020年3月号までの連載が一冊になりました。読者の皆さんから寄せられた質問を手掛かりに、ギリシア哲学の専門家である岸見先生がアドラー心理学も駆使しながら、より良く生きるための考え方を考察します。

この記事は『毎日が発見』2021年12月号に掲載の情報です。

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