約束する能力とは? 「他者の信頼に応えて生きる」/岸見一郎「生活の哲学」

定期誌『毎日が発見』の人気連載、哲学者の岸見一郎さんの「生活の哲学」。今回のテーマは「他者の信頼に応えて生きる」です。

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未知なるものの中へ飛び込め

アルフォンソ・ リンギス(※1)は、信頼は、未知なるものの中へ飛び込むことであるといっている(『信頼』)。

信頼するというのは、目下起こっていることやこれから起こることについて未知なことがある時、その知られていないことを主観的に補うことである。

もしもすべてが明々白々で未知なことが何一つなければ、そもそも信頼する必要はない。

一体どうなるかわからないからこそ、信頼する必要があるのだ。

子どもが「明日から勉強する」といっても、この言葉をこれまで幾度となく聞き、その度に、落胆を繰り返してきた大人は、子どもを信頼することができない。

子どもが「明日から勉強する」といった時点で、子どもが勉強するかどうかは「未知」のことだが、子どもを信頼するには、「未知なるものへと飛び込む」勇気が必要である。

沢木耕太郎(※2)が香港に滞在していた時、失業中のある若者に会った。

日本に行けたらと夢見るような表情で語るその若者と沢木はソバを食べた。

食べ終わると、彼はソバ屋のおばさんに、中国語で何かを話しかけ、グッバイと言い残して、料金も払わずに帰ってしまった。

沢木は、もちろん、自分で金を払うつもりだったからかまわないが、礼の一つくらいあってもいいのではないかと思った。

見事な手際で集(たか)られたことにがっかりしながら、ソバ代を払おうとすると、おばさんはいらないという。

彼がどうやらこういって立ち去ったらしいと沢木は理解した。

「明日、荷役の仕事にありつけるから、この二人分はツケにしておいてくれ、頼む......」。

沢木は自分が情けないほど、みじめに思えたが、それは失業中の若者におごられたからではない。

情けないのは「一瞬でも彼を疑ってしまったことである」(沢木耕太郎『深夜特急1』)。

道に迷った時、通りかかった人に道をたずねる。

その時点では、はたして道を教えてもらえるかは「未知」だが、無視されるとか嘘を教えられるとはつゆ疑わない。

しかし、沢木は一瞬でも疑ってしまった。

「未知」を肯定的に補うことができなかったのである。

※1(1933年~)米国の哲学者。著書に『異邦の身体』『信頼』などがある。

※ 2(1947年~)ノンフィクション作家、小説家。『テロルの決算』『一瞬の夏』など著書多数。

約束する能力

この若者は二人分をツケにしておいてほしい、明日払うという約束をした。

和辻哲郎(※3)は次のようにいっている。

「信頼の現象は単に他を信ずるというだけではない。自他の関係における不定の未来に対してあらかじめ決定的態度を取ることである」(『倫理学』)

明日どうなるかは誰にもわからない。

それにもかかわらず、人は約束をする時、本来取れるはずがない「決定的な態度を取る」のである。

和辻は、ニコライ・ハルトマンの言葉を引き、「約束する能力」とは、「与えられた一定の言葉に対して未だ実現されない事態が合致すべきことを保証する能力である」といっている(前掲書)。

何か約束をする時、未来の不定であることを引き受け、その上で言葉に発せられた「未だ実現されない」事態を実現できる能力を持つ人が「約束する能力」を持っているのであり、他者から「信頼に値する能力」(前掲書)のある人と見なされるのである。

とはいえ、約束をした相手が途中で気を変えることはありえる。

それゆえ、「信頼は冒険であり賭けである」(前掲書)が、はたして約束をするこの人は本当に信頼に値する人かどうかを調べてから信じるのではない。

「人が信頼に値する能力を持つことを前提として、いきなり彼を信ずる。それが他への信頼である」(前掲書)

ソバ屋のおばさんは若者を「いきなり」信頼したのである。

※3(1889~1960年)哲学者、倫理学者。『古寺巡礼』『風土』などの著作がある。

信頼に応える

残念ながら、信頼される側の問題がある。

加藤周一(※4)は中学生の時に、図画教師で生徒から「ネギ先生」というあだ名で呼ばれていた「一人の尊敬すべき人格」に出会った。

先生は生徒を「独立の人格」として扱おうとした。

先生は、中学校の最初の試験を生徒を信用し監督なしの試験にしたいといい、次のような話をして教室から出て行った(『『羊の歌』余聞』)。

「諸君の試験が監督されるということは、諸君が信用されていない、つまり諸君の人格が侮辱されているということです。諸君はそれを侮辱と感じなければいけません。わたしは諸君を信用せずに諸君を教育できるとは思わない。しかしわたしの見ていないときに万一不正が行われれば、それを放っておくわけにもゆかない。わたしは諸君を信用します。どうか信用を裏切らないで下さい。わたしのためにではなく、諸君自身の名誉のために......」

監督なしの試験は失敗した。

中学生には「人格に対する侮辱」を侮辱として受け取るだけの人格の観念はなかった。

「学校の教育方針は、監督された試験で、『またおそらくは監督された人生で』よい成績をあげる生徒をつくることにあり、その試験に監督を必要としない生徒をつくることにはなかったのです」(前掲書)

今も教育の現状は戦前と少しも変わっていないのではないか。

「監督なしの試験が正しく行われるためには、権威に従うのではなく、みずから定めた掟に従う自由な精神の道徳が必要なはずで、ネギ先生こそは、そういう道徳をもとめていたのです」(前掲書)

大学生の頃、塾で教えていたことがあった。

私以外の教師は皆竹刀を手にしていた。

生徒の一人がなぜ竹刀を持っていないのかたずねた。

「教育に竹刀はいらない」と私は答えた。

生徒が何の疑問も持っていないことに私は驚いた。

監視されなければ勉強ができないと思う人は自分のことを信頼していないのである。

教育だけの問題ではない。

自分が信頼されず人格が侮辱されても構わないという人は多い。

パワハラとしかいえない指導を受けても、いい成績を出せたらいいと考えるスポーツ選手、在宅勤務時にサボらないようにパソコンに監視プログラムが入れられても、反発しないで上司に従うことを選ぶ人......。

信頼する人は他者の「独立した人格」を信頼し、信頼される側はその信頼に応えられなければならない。

※4(1919~2008年)評論家。『羊の歌』『夕陽妄語』など著書多数。

【まとめ読み】岸見一郎さん「生活の哲学」の記事リスト

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岸見一郎(きしみ・いちろう)先生

1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件 アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

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『老後に備えない生き方』

(岸見一郎/KADOKAWA

2018年から2020年3月号までの連載が一冊になりました。読者の皆さんから寄せられた質問を手掛かりに、ギリシア哲学の専門家である岸見先生がアドラー心理学も駆使しながら、より良く生きるための考え方を考察します。

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この記事は『毎日が発見』2021年9月号に掲載の情報です。

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