死に至るまでの過程は人によって違う。人生は要約できない/岸見一郎「生活の哲学」

定期誌『毎日が発見』の人気連載、哲学者の岸見一郎さんの「生活の哲学」。今回のテーマは「人生は要約できない」です。

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要約が不可能な本

キム・ヨンスの「月に行ったコメディアン」という小説に出てくる図書館長は、先天性の白内障のために左目がほとんど見えず、右目だけで本を読んでいた。

「あの頃は要約が不可能な本ばかりを選んで読んでいました。なぜなら、ついに目が見えなくなれば本を読めなくなるのだし、実用書やベストセラーは、読んだ人に内容をまとめて教えてもらえばいいと思ったからです」(邦訳は『世界の果て、彼女』(訳/呉永雅、発行/クオン)所収)

「要約が不可能な本」という言葉が私の注意を引いた。

私はいつも要約が不可能な本を書いてみたいと思っている。

ところが、章の前に何を書くかをあらかじめまとめ、章の後にもまとめを書くように指示する編集者が多く、閉口する。

わずかな言葉でまとめられるのであれば、本を書いたりしない。

本が著者の悪戦苦闘のドキュメンタリーであってはいけないが、思考の過程を書き留めるのだから、わずかな言葉で簡単にまとめることはできない。

私の理解では、小説は「要約が不可能な本」だが、小説ですらただストーリーがわかればいいと考える人がいて驚く。

そのような人にとって細部の描写など、どうでもいいのだろう。

作家が言葉を尽くしてもまとめられない思いを、どれほど苦心して言葉にしているか知らないのだろう。

私が書くのは小説ではないが、結論だけを短い言葉で書くことはできない。

過程はいいから結論だけ書けといいたいだろうが、そういうわけにはいかない。

プラトンの『ラケス』という対話篇では「勇気とは何か」が議論されるが、議論の最後になっても勇気の定義に到達しない。

何度も定義が出されるが、その度に却下される。

もしもこの対話篇を要約したらどうなるだろう。

「以下の対話篇では勇気の定義が探求される。結論:勇気の定義に失敗した」こんな要約を読んでも、『ラケス』の中身はわからない。

定義に失敗したという結論に至るまでの過程にこそ意味がある。

人生を直視する

人生もまた要約できない。

結末は誰も同じ。

死である。

しかし、死に至るまでの過程は人によって違う。

しかも、合理的に割り切れない。

自分の人生を振り返った時、自分の決断がいつも正しかったといえる人はいないのではないか。

世界に起こることも合理的ではない。

新型コロナウイルスによって世界の多くの人が亡くなることは非合理の極致であり、そこに何らの意味も見出すことができない。

人生も世界も起こることには意味があると考える人は、そう見えるように合理的に説明できないところを捨象する。

合理的であるべきだという願望を持ち込むことで、起こっていることについて正しい判断ができなくなってしまっているのである。

人生の成功者は挫折体験を語らないか、その体験を美化するか誇張する。

人生を回顧する時に、どんな体験も無駄ではなかったと思いたいという願望が入り込むのである。

客観的な判断と願望の混同

これから起こることについても客観的に判断しないで、願望を持ち込む人がいる。

加藤周一の小説『ある晴れた日に』はアジア・太平洋戦争の日々を主題にしている。

医師の土屋太郎は、ある日、同僚の外科医と戦況について話をする。

土屋は彼の言葉に苛立った。

その外科医は火傷の治療法については綿密な論理を操り整然と語れるのに、沖縄の運命については簡単な論理さえ冷静に辿ることができないからである。

―ばかに批判的だね、君は。沖縄で勝ち抜くことは絶対に必要なんだぜ。

―それはそうでしょう。僕は、悲観的でも楽観的でもない、客観的に沖縄の決着がどうつくか、一番確からしく見えることを一番確からしいというだけです。それと勝ち抜く必要とは一応関係がないはずなんだが。勝つ必要は、勝ちそうだという、或は敗けそうだという予想とは別問題ですよ。

彼は客観的な判断と願望を混同しているのだ。

問題を客観的に見れば、太平洋の島に敵が上陸すれば必ずその島が玉砕したのだから、敵が沖縄に上陸してきた時に、玉砕する確率の方が大きい。

沖縄で勝ち抜く必要がある、玉砕しなければいいというのは願望であって事実ではない。

「同じ人間が、あるときには論理的であり、あるときには非論理的である。あるときには慎重であり、あるときには軽率を極めるというのは、一体どういうことか。戦局の判断に関しては、非論理的であり、軽率であることが、愛国的であるのか」

今の時代も新型コロナウイルスについて論理的に考えられない人は多い。

客観的に見た時に収束の見込みなどまったくないのに、アフターコロナを論じる人がいる。

東京オリンピックが開催できるという人は、現実についての客観的判断と希望を混同しているのである。

信念と知識の区別

このような混同を回避するためにはどうすればいいだろうか。

加藤は「知識」と「信念」を区別する(『『羊の歌』余聞』)。

例えば、「今日は雨が降っている」は知識である。

「今日は雨が降っていると信じる」という人はいない。

他方、「明日は雨が降るだろうと信じる(思う)」は信念である。

先に見た願望はこの信念である。

日本は戦争に勝つだろうと多くの人が信じたのは、そうなることを願望していたからであり、それは当時の多くの日本人にとって信念であったが、知識ではなかった。

この区別を理解していれば、「日本は戦争に勝つだろうと信じる(思う)」とはいえても、「日本は戦争に勝つ」とはいえなかっただろう。

実際には違いは理解されていなかった。

「沖縄で勝ち抜くことは絶対に必要なんだぜ」は知識ではなく、信念にすぎない。

たとえ、自分の信念や願望と合致しなくても、事実を直視し、正しく判断しなくてはいけない。

その上で、何ができるかを考えていかなければならない。

自分に不都合なことから目を背けたら、コロナ禍を生き抜くことはできない。

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岸見一郎(きしみ・いちろう)先生

1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件 アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

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『老後に備えない生き方』

(岸見一郎/KADOKAWA

2018年から今年3月号までの連載が一冊になりました。読者の皆さんから寄せられた質問を手掛かりに、ギリシア哲学の専門家である岸見先生がアドラー心理学も駆使しながら、より良く生きるための考え方を考察します。

この記事は『毎日が発見』2021年3月号に掲載の情報です。

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