期待に抗して生きる
三木が「利己主義という言葉は殆どつねに他人を攻撃するために使われる」と書いたのは、一九四一年のことだった。
国民精神総動員運動(一九三七年)、国家総動員法(一九三八年)、隣組の法制化(一九四〇年)と、日本社会が全体主義的傾向を強めていた。
三木はこんなことも書いている。
「我々の時代は人々に幸福について考える気力をさえ失わせてしまったほど不幸なのではあるまいか」(前掲書)
個人的な幸福を問題にしてはいけないという風潮がこの頃には既にあったのである。
自分の幸福を考えることが利己主義といわれることには、もう一つ理由がある。
「利己主義」という言葉は、本当に利己主義を批判するためではなく、集団の中での個性を潰すためのレッテルとして使われたのである。
皆が同じことをすることが期待されたのである。
戦争中に徴兵されることになった当の若者とその親が、そのことを名誉なことだと皆に語る場面が小説や舞台、また、映画、ドラマなどで描写されるのを見ると、そんなことが本当にあったのかと思う。
徴兵されると殺されるかもしれない。
そのことを知らなかった人がいるとは思えない。
それでも、戦争に行って生命を捧げることが期待された。
出征する父との別れに悲しみの感情がわかなくなるほど、教育は徹底し、多くの人は麻痺していた(島本慈子『戦争で死ぬ、ということ』)。
三木は期待について、次のようにいっている。
「期待は他人の行為を拘束する魔術的な力をもっている。我々の行為は絶えずその呪縛のもとにある」(三木、前掲書)
三木は「時には人々の期待に全く反して行動する勇気をもたねばならぬ」(前掲書)というが、この時代至難の業だったに違いない。
今はこの勇気を持つために命を賭する必要はない。
しかし、利己主義というレッテルが同調圧力として、人と違うことをする人を規制するのは変わらない。
いつの時代も生きにくい。
【まとめ読み】岸見一郎さん「老後に備えない生き方」の記事リスト