人生とは「夢」のように「儚いもの」だろうか?/岸見一郎「生活の哲学」(2)

哲学者の岸見一郎さんが定期誌『毎日が発見』でスタートした新連載「生活の哲学」。今回のテーマは「夢」です。過ぎ去った時間、いままでの人生をどう感じるか...は、現在の生き方が影響するのでしょうか。今、あなたはどう感じますか?

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ふと、福永武彦(小説家、詩人、フランス文学者、1918〜1979年)の「夢のように」というタイトルのエッセイを読んだことを思い出した。

新聞に載っていたのを切り抜き、日記帳に挟んだはずだ。

探してみたら、思いがけずすぐに見つかった。

私が十七歳の時に書いていた日記帳だった。

これを思い出したのは夢について考えていたからだが、高校生の私がなぜ切り抜こうと思ったのかは思い出せなかった。

エッセイの中で、福永は「夢のようだ」という表現について、次のようにいっている。

「夢のようだという表現は、おそらくは流れて行く時間の速さを示すために、人類とともに古くからあったのかもしれない」(「夢のように」) 

夢は「日常とは別の次元に属し、流れではなく物」であり、「混沌とした大きな塊」だと福永はいう。

ただし、夢が物や塊になるのは目が覚めた時である。

夢を見ている間は、日常と変わらず、夢は流れとして経験されるが、目が覚めた時、夢は流れであることをやめ、一挙に「混沌とした大きな塊」になる。

たしかに夢を見ていたのは覚えているが、目が覚めた途端、もはや細部を思い出せず、ただ夢を見たという感覚だけが残るということである。

過去も「流動する流れとしてではなく一個の物として認識される」と福永がいっていることの意味は、人を待つ時のことを考えるとわかる。

私の息子は小学生の時、鍵を持っていくことを忘れ、学校から帰っても、家の中に入れず家の外で待つことがあった。

ある日、仕事から帰ってきた時、遠くから家の玄関前に黄色い傘があるのが見えた。

家に入れなかった息子が傘を置いてどこかに出かけてしまったのだろうかと思ったがそうではなかった。

すわりこんで居眠りをしていたのである。

傘に隠れて息子の姿が見えなかったのだ。

私に気づいた息子は、壁を這っている蝸牛(かたつむり)を指さしていった。

「この蝸牛は最初、ここにいたんだ」 

蝸牛は、息子が玄関ですわって待っている間に、三十センチほど移動したことになる。

それがどれくらいの時間だったのかはわからないが、時間の経過はこのように蝸牛の軌跡によって空間的にしか示せない。

長く待っていたのだろうが、私が声をかけた時、息子が待っていた時間は「一個の物」になっただろう。

過去が「一個の物」になるとは、蝸牛のゆっくりとした動きに喩えられるような時間の流れの中での時々の経験が、その細部を消し去った過去になるということである。

目が覚めた時に、ただ夢を見ていたという感覚だけが残るように。

福永は、この人生の夢の部分は「燃え尽きた時間の灰」にすぎないという。

「その灰の部分は刻刻に冷たくなり、次第に形を失い、忘れられ、遂には風に吹かれるがままに四散して、あとには何も残らなくなる」 

だから、「夢のように」という表現は、人生の儚さをも示すと福永はいい、織田信長が桶狭間の出陣を前に歌って舞った幸若舞(こうわかまい)の「敦盛(あつもり)」を引いている。

「人間五十年、下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり」「人間(じんかん)」は「人の世」。

人の世の五十年は天界での時の流れに比べたら、夢幻のようだという意味である。

森有正(哲学者、1911〜1976年)が、「ある七十以上になる老人」がしみじみ語ったという言葉を引いている。

「七十年! 夢のように経ってしまいます。のこるのは若い時のなつかしい回想だけです。青春は短いなどと言っているが、短いどころではない、あっという間に過ぎ去ってしまいます」(『バビロンの流れのほとりにて』) 

森は「この老人の言葉は実感から出ていると思う」といっている。

私は若い時、この老人の言葉を読んで、歳を重ねるとそんなふうに感じるものなのだろうかと訝(いぶ)かった。

今、歳を重ねた私はこの老人のように自分の人生が夢のように経ったとは感じていない。

人生を夢のように儚いものだとも思わない。

私自身の人生についての思いは、多田富雄(免疫学者、文筆家、1934〜2010年))の感覚に近い。

多田は旅先で突然脳梗塞の発作に見舞われた。

多田は、死線をさまよった後、三日目によみがえった。

発作の日から満六年、次のように振り返る。

「そのとき私は死んでいたはずなのに、かりそめの執行猶予期間生き延びただけだと思っていたが、まもなく発作の日から丸六年になる。あっという間の夢だったといっても、長い長い苦しみの堆積だったといっても、どちらも真実ではない。はっきりといえるのは、ただ夢のような日々ではなかったことだ」(『寡黙なる巨人』) 

私は十年以上前に心筋梗塞で倒れ、翌年、冠動脈バイパス手術を受けた。

術後、十年後には再手術が必要だと医師から告げられた。

バイパスのために摘出して繋がれた血管は劣化していくので、狭窄した血管に代わって別の血管を繋がなければならないからである。

結果的には、幸い今のところ手術を受けないですんでいる。

主治医から退院後は本を書くように勧められ、原稿を書く日々は、病気で倒れる前よりもはるかに充実しているので、多田と同じく、夢のような日々ではなかった。

人生はあっという間に過ぎたとも、人生は儚いとも思わなかった。

なぜそうは思わなかったのか。

多田は次のようにいっている。

「私は真剣に、意識的に生き続けたと思う。そう、健康だった頃よりも真剣に、充実して生きた」

救急車で病院に運ばれた私は、少なからぬ人が死ぬと医師から聞かされた。

「現実は悪夢の感じとなり、人はもしこれが夢ならば早く覚めればいいと思う」 

これは福永の言葉だが、苦痛だけでなく、死ぬかもしれないという不安を感じた私も、早く覚めればいいと思った。

悪夢は流れなくなり、時間は止まった。

「明けない夜はない」とか、「夜明け前が一番暗い」などといわれることがあるが、その時は、夜が明けることがあるとは思えなかった。

その後、生命の危険を脱したけれども、夢からは依然覚めていないように思う。

もはや悪夢ではないが、あの時と同じように刻々の今を生きているのだから。

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岸見一郎(きしみ・いちろう)先生

1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件 アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

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『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』

(岸見 一郎、古賀 史健/ダイヤモンド社)

フロイト、ユングと並ぶ心理学三大巨匠の一人、アドラー。日本では無名に近い存在ですが、欧米での人気は抜群で、多くの自己啓発書の源流ともなっています。

アドラー心理学の第一人者である岸見一郎氏がライターの古賀史健氏とタッグを組み、哲学者と青年の対話篇形式で彼の思想を解き明かしていく、ベストセラー。

この記事は『毎日が発見』2020年5月号に掲載の情報です。

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