父にとって、娘の私は「使い勝手のいい介護人」。感謝もなく逝った父の「最期の言葉」<後編>

「昨年、86歳でガンで亡くなった父。最期の瞬間まで付きっきりで介護したのは娘の私でした。でも、生前、一度も感謝の言葉を言われたことがありません。それどころか、父が最後に私に遺した言葉は虚しいものでした。一体父にとって、私はなんだったのでしょうか」

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■「娘は使い勝手がいい」父にとって私は...

認知症で空間認識に欠け、過活動性膀胱に前立腺肥大。

そんな父の一番の困りごとはトイレ。

同居を始めた頃はまるで戦いでしたが、居室からトイレまでつながる廊下にカーペットを敷いて目隠しをしてでも行けるようにしたり、毎回のように汚す便器周りにはタオルを敷き詰めたりして、なんとか対応。

それでも、あちらこちらにできるオシッコ溜まりを無言で拭く生活は最期まで続きました。

歯磨きもまともにできず、歯槽膿漏で救いようもない状態だった口の中も、毎食後手伝ってきれいにし、根気よく歯科医にも連れて行って入れ歯を作ってもらったり、放置してひどくなった白内障の手術を受けるために病院に行ったり...あげればきりがありません。

父との生活で費やした私の時間はとてつもなく多いのです。

感謝してもらいたくて父の世話をしていたわけではありませんが、最期の言葉は悲しい思い出として残りました。

父は一人で暮らしていたときにも「娘は使い勝手がいい」とか「年寄りも誰かに甘えたいときがある」とか言っていいように使われてきた私。

娘という存在は、父親にとって一体何だったのでしょう。

兄には「(父は)きっと感謝してると思う」と言われたけれど、なんだか現実味がありません。

兄に「お前が父の面倒をみてくれたから介護離職しなくて済んだ」「俺は本当に感謝している」と言ってもらったことだけが、せめてもの救いになっています。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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