父にとって、娘の私は「使い勝手のいい介護人」。感謝もなく逝った父の「最期の言葉」<前編>

「昨年、86歳で末期ガンで亡くなった父。最期の時まで付きっきりで介護をしていたのは私でした。日ごろ『娘は使い勝手がいい』と言っていた父。一度も感謝の言葉を言われたことはありませんでした。それどころか、父は悲しい言葉を遺していったのです」

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■兄には感謝の言葉を遺していた父

昨年の秋、私の父は86歳でその生涯を閉じました。

末期ガンでしたが、父の最期がいつ来るかなんて予想は全くできませんでした。

「突然」...そんなことばがぴったり当てはまるように夜中にひっそりと逝きました。

その夜、食欲がないと言って食事をほとんど食べなかった父。

「もう少し食べたら?」と促した私に、「年金をあてにしとるからな」と言ったのが父の最期の言葉になりました。

私が父の年金をあてにしている、そんな風に思っていたのでしょうか。

「無理にでもご飯を食べて少しでも生かしておきたいんだろう?」...そんな風に受け取れました。

父が亡くなって、兄と葬儀の準備を進めながら、介護していた父のことを思い出のように語っている中で、腑に落ちないことがありました。

普段私が在宅で父の面倒をみていたのですが、少しでも兄にも負担してもらいたかったのと、認知症で変わりゆく父の姿を知ってもらいたかったこともあり、年に数回ほど父を兄の家に送り出していました。

ゴールデンウィークやお正月など兄が長期休暇になるときで、長くても5日、短くて3日ほどのことです。

着替えや歯磨き、毎食後の薬のことなど「父の『トリセツ』」をメールで送っていましたが、いつもは私がやっていたお風呂や歯磨きなどは「一人で出来る、お前(兄)にこんなことはさせられん」と言ってさせなかったそうです。

兄の家から帰宅すると、父はよく「隆(兄の名)には本当によくしてもらった」そう言っていました。

実際、認知症で空間認識が欠落した父は、手狭な兄の家のトイレの場所も覚えられません。1人で寝かせると玄関やベランダなどにオシッコ溜まりができることもありました。

ですので兄は父と布団を並べて寝て、夜中に何度も起きる父に付き添ってトイレまで誘導していたそうです。

そのため昼間は睡魔に襲われて毎日のように昼寝。

近くを散歩することはあっても何処かに出かけたりはしていません。

それでも、父は毎回「よくしてもらった」そう言って帰宅していました。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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