「厳しい両親に反発する、今になって思えばなんて子どもっぽいと思いますが、若い頃の私はそんな人間でした。アドバイスを聞くのが嫌で、体の心配をされても『大丈夫』と答えるだけ。そのくせ好き勝手な生活をしていました。しかし、そんな生活が体にいいわけがなく、大病をして入院...。そのとき、両親がお見舞いに来てくれたのですが、そのとき、親の愛情の深さをつくづく思い知らされました」
親や夫、子ども、友人に職場の同僚、ご近所さん...。アラフィフ女性を中心に、みなさんから寄せられた人間関係の「モヤモヤ」「スカッと」「泣ける」実体験エピソードを、過去の人気記事をもとにして漫画で再構成しました。この時、あなたならどうしますか?
救急病院に到着し、医師からの質問になんとか答え、幾重もの厳重なドアを越えて病室に落ち着いたときです。
「ご両親が到着しました」
看護師さん? 医師? どちらか分からない明るい声に私は驚愕しました。
「ちゃんとしてる」
「大丈夫」
両親の忠言に対して、何百回そう言ったことでしょう。
それなのに、そのときの私は体中に何本もの管がつき、髪はぼうぼう、目は虚ろ、口が裂けても「ちゃんとしてる、大丈夫」なんて言える姿ではありませんでした。
私は両親の反応を想像して震えました。
父は怒鳴るのかな、母親は倒れるかもしれない...2人ともショックで取り乱して幻滅するだろう...。
思わず隠れ場所を探そうときょろきょろしていると、病室に両親が入ってきました。
私は、大切に育ててくれた体をこうまでボロボロにしてしまった罪の意識で、思わずおいおいと泣き出してしまいました。
ところが、両親は極めて冷静でした。
私の様子に動じることもなく、母親はきょとんとして言いました。
「自分の子が病気になったから見舞いに来ただけでしょ。どうしてそんなに騒ぐの?」
父親は穏やかな笑みを浮かべてこう言いました。
「身体を治すことだけ考えてゆっくりしろ」
がつんと頭を殴られたような衝撃でした。
親というのは、私が思っていたよりも大きな存在でした。
自堕落な生活をいさめられるのでは、なんて思っていた自分はなんて小さいんだろう...本当に恥ずかしくなりました。
薬のアレルギー反応で肝臓が弱っており、万が一の場合を踏まえて病院が両親を呼んでくれたことは後で知りました。
幸いなことに、その後は「奇跡的」に回復し、しばらくして退院することができました。
入院をきっかけに私は改心し、仕事も生活も見直しました。
両親からの連絡もむげにすることなく、意味のない意地を張ることもやめて、少しは親孝行ができるようになったのかな、と思っています。
病気は痛すぎる教訓でしたが、あのおかげで親という存在の大きさを知り、少しは成長できたと感じています。
漫画:Fjosa/原案:「毎日が発見ネット」みなさんの体験記
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