性別:女
年齢:54
プロフィール:近くに住む姑と同居する要介護1で85歳の父はともに認知症。嫁と娘の二つの立ち位置で、それぞれの生活を手助けする介護人(かいごびと)です。
※毎日が発見ネットに掲載された体験記を再構成してお届けします。この体験記が書かれたのはコロナ禍前です。
もともと涙もろく泣きやすいのですが、あんなに泣いたのは初めてでした。
義母と私は、お互いがそれぞれの家に通う変則的なお世話の仕方をしていました。
義母は認知症もあり、極力自分の家で過ごしたがっていたので、義実家に行く日もあれば、こちらに泊まりに来る日もあります。
家が近いからできることでした。
ある日、我が家で事故が起こりました。
脱げたスリッパをはかせようと、支えていた義母の手を外して私がかがんだ時、義母はバランスを崩して尻餅をついてしまったのです。
結果は腰椎の圧迫骨折。
義母は骨粗しょう症で、3カ月前にも同様のことがあり、10日間入院してきたばかりでした。
その2年ほど前にもあったので、今回で3度目。
悲しいかな、3度目の骨折で慣れており、本人も入院のつまらなさが意識の中にあったのか「ずっとここでいいわ」と言い、入院せずに私たちの家で療養することになりました。
「お年寄りは3日寝れば歩けなくなります。腰椎の圧迫骨折でも、コルセットをしてトイレに行かないと歩くことを忘れます」
「お箸だって使わないと使い方を忘れます」
訪問看護のナースからそう聞いていたので、私は寝たきりにさせてはいけないと必死でした。
介護ベッドや歩行器を借り、痛いと叫ぶ義母相手に、ナースの指導のもと、できるだけのことをしました。
トイレや食事の介助は1時間以上もかかります。
時に弄便もあり、ただの「お世話」ではない介護生活でした。
ところが、そんな義母の様子を愚痴ではなく事実として伝えることでさえ、夫にとっては面白くないようでした。
そのため、義母の都合の悪いことは何一つ伝えることもままならないという、家族がいるのに孤立した介護でした。
そんな日々を続け、義母も随分とよくなると、今度はわがままが出てきます。
気分でご飯を食べると言ったり食べないと言ったり...。
そんな義母に対し、私はなだめたりすかしたり。
まるで小さい子どものようで時間ばかりがかかりますが、認知症に対峙するには根気と笑顔が必要なのだと自分に言い聞かせて対応していました。
ある日のことです。
夫が仕事から帰宅しました。
そして、突然「あなたはやり過ぎなんだよ!」と私が怒鳴られたのです。
夫はその後、キッチンの冷蔵庫からレタスを取り出して床に思いっきり投げつけました。
そして、私に向かって言ったのです。
「殴らないだけましでしょ?」
それまでに殴られたことは一度もありませんでしたし、そんなことを言われたのも初めてでした。
義母にお世話になった感覚は何もありません。
それでも、義理の親は自分の親以上に大切にするくらいでバランスが取れる、と何かで読みましたし、認知症の人が精神的に安定して生活するためには、介護する側の怒りは厳禁という知識もありました。
だから、目線も同じ、もしくは低くして、丁寧に接することを心がけていたのです。
夫には、そういう光景が必要以上に甘やかしているように見えたのでしょうか?
それとも、仕事の疲れもあったのでしょうか?
どうして殴りたくなる寸前にまで激怒したのか、その真意はいまだにわかりません。
誰も認知症になりたくてなったわけではないし、好きで病気になったり怪我をしたりしているわけでもないのだから、この人は明日逝くかもしれないのだから......
そう思って毎日できる限りのことをしてきた私にとって、あまりの言葉に思えました。
その後、何時間泣いたでしょうか。
涙が止まらなくて止まらなくて、本当に困りました。
その涙は、一生懸命だったことを怒鳴られただけでなく、いい年にもなって物に当たるという大人げない行動をとった夫、そういう人を自分の伴侶に選んでしまった30年前の自分を悔いる涙でした。
寝たきりにさせないように妻として頑張ったかいがあって、義母の腰椎の圧迫骨折は快癒し普段の生活に戻りましたが、私の流した涙は心の傷となって残ってしまいました。
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