性別:女
年齢:50
プロフィール:夫が2年間の闘病の末、悪性リンパ腫で亡くなりました。2人の子どもだけでなく、要介護2の義母を抱え、入院費用や治療費のため借金もあり、お先真っ暗でした。それでも周りの人に助けてもらいながら、何とか暮らしております。最近やっと自分の体にも目を向けるようになりました。
※毎日が発見ネットに掲載された体験記を再構成してお届けします。この体験記が書かれたのはコロナ禍前です。
小学校の高学年のとき、視力が格段に落ちました。
暗がりで読書をしていたのもありましたが、それ以上に猫背がひどく、本やノートに顔がくっつきそうな姿勢で読み書きを繰り返していたせいかもしれません。
小学5年生の視力検査では、前年まで裸眼で1.5あった視力は1.0を切っていました。
そして、相変わらず悪い姿勢のまま暗がりで読書を続けた結果、小学校6年生の時には0.2や0.3まで視力が低下し、眼鏡をかけることになりました。
中学1年生になると0.05という視力に。
眼科医に「教科書以外は読んではダメ。成長期でまだ下がる可能性が高いから」と、読書好きだった私を谷底へ突き落とすようなことを言われてしまいました。
幸いなことに視力はそれから下がらず、コンタクトレンズで視力を矯正することで、そこまで不自由を感じることもなく過ごしていました。
転機が訪れたのは、私が30歳を過ぎた頃。
物が二重に見えたり、ぼやけたりし始めたのです。
最初は眼精疲労が原因と思っていました。
しかし、そんなに疲れていなくても物がぶれて見えていたので、眼科に行ったところ、「乱視が出ています。そんなにひどくはないですが、軽くもありません」と中程度の乱視と診断されました。
早速、眼鏡も近視と乱視の対応型に作り変え、コンタクトレンズもそれに準ずる形で揃えました。
33歳の時に37歳の夫と結婚し、しばらくは穏やかな日々が続いていました。
しかし、私が45歳の時、夫が49歳になってすぐに悪性リンパ腫になり、2年後に帰らぬ人となりました。
そんなことがあり、自分の目の調子なんて気にとめる余裕もなく過ごしていました。
でも、さすがにスマホのメールの文字が読めなくなったことに不安を感じ、50歳を迎えて老眼検査を受けることに。
眼科医からはっきりと「老眼」と診断されるのは精神的に辛いので、眼鏡売り場で簡易的に老眼判定を受けました。
結果は、やはり老眼。
店員さんに「近眼だと老眼にならないって聞いたんですけど」と聞いたら、とても気の毒そうな顔で「それは迷信です。老眼というのは目の老化で、レンズを調整する筋肉の衰えから起きることで、近眼の人も筋肉は衰えます」と答えられてしまいました。
「老化」というワードは、言われてみると予想以上にショックなものです。
現実を突きつけられ、その日はどうやって家に帰ってきたのか、よく覚えていないくらいのあり様でした。
その後、そこのメガネ店で遠近両用(乱視付き)の眼鏡を作り、再びものがよく見えるようになりました。
まだまだ慣れておらず、近くを見る時には妙に顎を上げてしまいますが、よく見えることや頭痛の頻度が減ったのことが最大の収穫でした。
老化と言われて気持ちは落ち込みましたが、落ち込んで終わりにしないでよかったです。
今まで疎かにしてきた自分の体のことを、些細なことでも真剣に考えるようになりました。
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