心の健康を保つコツは、「がんばりすぎない私」を認めることでした

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ペンネーム:涼
性別:女
年齢:61
長男の私立中学入学のため、子どもたちと一緒に主人の転勤先である仙台から東京へ帰ってきました。二重生活になっただけでなく、私立中学の学費、次男の個別指導の塾代で家計は逼迫。外回りの仕事を始めましたが、秋になった時うつ状態に...。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

◇◇◇

今から15年前の10月1日のことでした。次男の学習塾に電話をしたら、「今日も塾に来ていません」とのこと。受話器を置いて、「もう疲れちゃった」と独り言。思えば、その頃から、私は元気を失っていきました。


当時、夫は単身赴任中。私は、留守を守りながら学費を稼ぐために共済の外回りの仕事をしていました。1軒1軒おうちを訪問して、共済の加入をお勧めする仕事です。担当地区は隣の市で、自転車で通っていました。夏休みは子供のお昼ごはんのために一旦帰宅する生活。帰宅すると次男は寝ていることが多く、さらに夕方帰宅するとまた寝ているという日々が続きました。塾に行っていないのです。
月謝とバス代で6万円以上かかっていた塾でした。行っていないのなら、と辞めさせました。同時に、共済の仕事は辞めました。

仕事を辞めても、私の調子は戻りませんでした。あまりに元気がないことを心配した主人とともに心療内科を受診しました。現状を話すと、「通院する必要はありません。息子さんの中学受験、初めてのご主人不在の生活からくる緊張感から疲れたんですよ。夏の疲れもでています」と先生は言います。疲れだけとは思えないと心の中でつぶやいた時、主人が「でも、妻は普段もっと闊達な人間なんですよ。変だと思います」と言いました。「それでは、しばらく通院して様子をみましょうか」と先生。私が離席したとき、主人は先生から「軽いうつ病です。半年位通院したら治るでしょう。でも、同じ経験を繰り返すことになると重くなるかもしれません」と言われたそうです。

通院することになりましたが、自分で病院にいくことを望んだくせに、待合室の重い雰囲気がいやでした。病院のために外出するのは仕方ないにしても、人に会いたくない、話したくないのです。それまでは、たとえ病気の日でも食欲のないことなんてなかったのに、少ししか食べられません。それでも朝の登校を見守る旗振り当番や、学校の行事には無理して出ていたので、「どうしたの?やせちゃって」と言われるのも苦痛でした。処方された薬を1錠飲んでいましたが、こんな小さな薬で元気になるとは思えませんでした。

気力がわかない状態が続いていた3月、ある精神科の先生の新聞の記事が目に飛び込んできました。

そこには、「最初家族は『お母さんは元気のない自分を責めてばかりいます。先生何とかしてあげてください』と言いました。やがて、『お母さんは、何もしようとしなくなりました。1日ごろごろしています。先生、お母さんに何とか言ってください』と言ってきたのです。私は、『それでいいんですよ。よくなってきているんです』と家族に言いました」と書いてありました。

私は記事を読んではっとしました。私も同じだ、と思ったのです。私は常に頑張らなきゃいけない!と思って、無気力な自分を責めていました。元気じゃない状態の自分が許せなかったのです。

そうか、肩の力を抜いてゆっくりするのは、自分の健康のためでもあるんだ。自分を責めるのは止めて、ごろごろしよう。そう思いました。

そして、心療内科の先生には「私、もう頑張るのを止めにしました」と宣言。先生は「そう。それでいいんですよ」と言ってくれました。納得感もあったので、先生が言うまま、その日で薬も通院も終わりにしました。

のんびりしようと決めてからは、少しずつ良くなっていきました。そして4月には、単身赴任先から主人が東京に帰ってくることになりました。ちょうど、4月1日は主人の誕生日でした。その頃から、昼間横になってばかりの状態から抜け出せました。

どうしても元気が出ない、と悩んだ日から、14年がたちました。あれ以来、疲れたら休む、好きなことで気分転換をする、を心がけています。また、頑張らなきゃと思うことを重ねないようにしています。それが私の心を健康に保つ秘けつのようです。

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健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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