「犬は神の使い」
かつて、日本に棲息していた日本オオカミは、「ヤマイヌ」と呼ばれていました。ヤマイヌは、村里にも頻繁に出没し、家畜や人を襲う害獣でしたから、忌み嫌われていました。
岩手県の和賀・紫波地方では、1月15日の夜明けに、「オイヌボイ」と呼ばれるヤマイヌを追い払う儀式を行っていました。
青森県の下北郡では、「オイヌノナガシ」という行事があり、いのしし形の餅2個と犬形の餅4個をお供えし、後で川に流しました。
群馬県の六合村(くにむら)では、5月に十二様のお祭りをしますが、その時のお供えものは、赤飯です。ヤマイヌは、小豆(あずき)を食べると、鼻がきかなくなって、人を襲えなくなると伝えられていました。
ヤマイヌは、害獣として恐れられていた反面、強い力を持つものとして、崇められてもいました。
秩父の三峰神社や青梅の御嶽神社の「オイヌサマのお札」を、玄関や蔵の入り口に貼っておくと、盗難除け、火事除けになると言われていました。
六合村の十二様のお祭りでは、山の神の掛け軸を必ず飾ったそうですが、それには、山の神のお使いと考えられていたヤマイヌも描かれていました。
神の化身やお使いである「霊獣」は、白い毛色の犬です。犬に限らず、霊獣が白いのは、他の動物にもあてはまることです。
また、各地に伝えられている「花咲爺さん」や「雁取り爺さん」の昔話は、善良なお爺さんが、犬のおかげで、財宝を得るという似たような内容になっていますが、犬は善良な人を見分けて、その人に富を授ける存在と思われていたのです。
「水神と安産と犬」
犬は、お産が軽く、生まれた子犬も早く育つということで、昔から安産や子育ての祝いに犬にちなむものが、飾られたり、贈られたりしていました。
「日本産育習俗資料習性」という本には、安産・子育てにちなむ「犬」についての地方の伝承が書かれています。
岐阜市
「旧暦の12月に犬の排泄物を拾って、何かに包んで、ふところに入れておくと、お産が軽い」
岡山県小田郡
「妊娠中に、犬や猫、牛が交尾しているのを見ると、お産が軽い」
山口県吉敷郡
「犬の排泄物を寝床の下に入れておくと、安産する」
香川県木田郡
「妊婦が犬をかわいがると、お産が軽い」
神奈川県
「戌の年生まれ、戌のつき産まれの子守が、最も良い」
福島県
「男の子が丈夫に育つように、狗子の玩具を与える」
安産の神としてよく知られているのが、「水天宮」ですが、「水天」はもとはインドの水神ヴェルナであると言われます。ヴェルナは、多産の象徴で、冥界とかかわりのある四つ目の黒犬を殺して水中に投げ込んだとされる神です。
水神は、生命の源泉と豊穣をつかさどる神と考えられていました。古代オリエントの母神は、水神の性格をもっていて、犬をお供にしていたそうです。
インドのマハラシトラ地方には、生まれてきた子どもの健やかな発育を願って、誕生から7日目に、水を拝みに出かけ、帰宅してから子どもの足を犬になめさせる習慣がありました。
日本では、犬に導かれて、湧き水を発見したという言い伝えも多く、水の神と犬との間に特別な関係があると考えられていました。
「犬を養う仕事をしていた人々」
狩猟を手伝う使役犬としてだけではなく、犬は、古くから軍用犬としても飼われていました。
「日本書記」、「新撰姓氏録」によると、大和朝廷には、犬を飼育していた「犬養部(いぬかひべ)」と呼ばれる部民がいました。
養部(かひべ)は、動物を飼育する部民で、他に、馬養部、猪養部、鳥養部などがありました。
犬養部を統率していたのが、「伴造(とものみやつこ)」と呼ばれる役職で、その任についていたのが、県犬養連(こおりのいぬかひのむらじ)、海犬養連(あまいぬかひのむらじ)、若犬養連(わかいぬかひのむらじ)、安曇犬養連(あずみのいぬかひのむらじ)の四氏でした。
538年に、諸国に穀物を貯蔵するために作られた屯倉(みやけ)を、番犬を使って守衛していたのが犬養部連でした。他の養部が卑賊とみなされていたのと違って、重要な地位にあったのではないかと考えられています。(「犬の博物誌」より)
犬養部は、守衛という任務を果たすために培った武術を活かして、後に軍事氏族としての色彩を強めていったのです。
犬養部を率いた氏の海犬養、安曇犬養は、古代における海人の統率者でもありました。つまり、海人は、漁で獲った魚をエサにして、犬を養っていたのではないかと推測されています。
安曇野や、海人の雄として知られる紀氏が住んでいた紀伊山地や有田川流域には、屯倉(みやけ)と犬養という地名がたくさんあります。
また、海幸彦を祖先とする「隼人」は、「狗人」とも呼ばれ、「犬祖伝承」をもつ人々でした。
(参考資料 「十二支の民族伝承」 石上七鞘著 おうふう刊)
(参考資料 「十二支の民俗史」 佐藤健一郎・田村善次郎著 八坂書房刊)